よくある業界事情通の回顧談と思って読み始めたのだが、これがなかなか面白い。出版ジャーナリスト、塩澤実信さんの『出版街放浪記』(展望社)。多彩な交流や業界裏話がつづられているだけではない。ノンフィクション作家として、気合を入れて発表した昔の作品も再録されている。随所に著者の温かみのある人柄がにじみ出ていて、多くの出版関係者に愛されてきた理由が分かる。
塩澤さんは1930年生まれの87歳。一般には出版界のことを分析するベテラン研究者として知られている。出版界で何かが起きたとき、新聞などの識者コメントで塩澤さんの名前を見かけることが多かった気がする。実際、1980年の『出版社の運命を決めた一冊の本』にはじまり、『戦後出版文化史』『出版社を読む』『出版社大全』などこれまでに30冊近く類書を出している。東大講師をしていたこともあるというのは、この方面の実績によるものだろう。
そうした「出版界ウォッチャー」としての仕事を、塩澤さんは「出版業界の落ち穂拾い」と謙遜する。もちろんそれだけではメシを食えないので、さまざまな分野の仕事を引き受けてきた。今回が108冊目の著書になるという。昭和25年に入ったロマンス社を振り出しに、婦人世界社、東京タイムズから双葉社に移り、「週刊大衆」の編集者や編集責任者を務め、45歳で退職、一転フリーになって・・・という一代記が達者な筆で活写されている。
本書のタイトルからは、誰しも阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』を連想するだろう。実は、これは塩澤さんが編集長時代に、阿佐田さんにお願いした連載だったそうだ。「麻雀をやると徹夜になるから"朝ダ徹夜ダ"という急ごしらえのペンネームを考えたのも塩澤さんだったというから意外だ。
東京タイムズ時代は、洋画と軽音楽を扱う「スターストーリィ」の編集部にいた。そこで初めて持った部下が、のちにSM文学の巨匠となる団鬼六だった。当時はその種の趣味者であるそぶりを微塵も見せなかったそうだ。
本書では有名人とのツーショットも並んでいる。田中角栄、梶山季之、江利チエミ、川上宗薫、山田風太郎、大山倍達、橋幸夫、高見山などなど。たいがいが「週刊大衆」のころの付き合いだ。今では真面目な出版業界研究者と思われがちな塩澤さんだが、なかなか味わい深い時代をくぐり抜けていることがわかる。
駆け出し時代は「毎日一冊」の読書を心がけていたそうだ。上司に中央公論出身の辣腕編集者がいて、ねちねちと苛められた。有名作家と昵懇で何千冊もの本を読んでいた人だから、知識と教養では歯が立たない。そんな修業時代を思い起こしながら、「これら反面教師の面々に改めてお礼を申し上げたい」と書く。このあたりは共感する人が少なくないかもしれない。
世界的ベストセラーになった『ルーツ』の翻訳出版権を巡る争奪戦に参画した話も紹介している。結局、勝ち取ったのは社会思想社だった。その内幕よりも、当時すでに塩澤さんが、朝鮮人文学や黒人差別に関する作品をこってり読んでいたというくだりが興味深かった。そうした蓄積がなければ、参画しようという気にもならなかっただろう。長期にわたる読書の成果を感じさせる。たしかに本についての豊富な知識がなければ、出版界ウォッチャーになるのは難しい。
最終章では、戦争について過去に雑誌に発表した記事を再録している。塩澤さんは「軍神」に魅入られた世代だという。物心がつきはじめたころから、「忠君愛国」「鬼畜米英」で育った。その後遺症というか名残というか、一時期、戦跡めぐりや戦記物の読書、資料収集にあけくれた。軍事関係の出版が多い光人社から頼まれ、同社の雑誌にノンフィクションを執筆していたこともある。その中から本書では二編を再録している。
一つは「"運命"に殉じた連合艦隊司令官山本五十六」。山本は日独伊三国同盟に反対し、日米戦は回避すべきという立場だった。しかし戦争推進の先頭に押し出される。友人への手紙で「個人としての意見とは正反対の決意を固め、その方向に一路邁進のほかなき現在の立場は、まことに変なものなり。これも運命というものか」と書いていたことを伝え、苦衷の心境を慮る。長期戦では勝ち目はないと、真珠湾攻撃という奇襲を考え、短期戦で決着を付けようとしたが、和平の時期を失い、自らはブーゲンビル島上空で非業の死を遂げた。
もう一つは「捨て石にされた沖縄玉砕戦の痛恨」。7万余りの将兵と10数万の一般民が犠牲になった。「沖縄戦は一将の功成らず、万骨も枯れた『国体護持』のための捨て石作戦だった」と断じる。日本軍兵士による沖縄住民の壕からの追い出し、食糧の強奪、スパイの嫌疑をかけての射殺、集団自決の強要などにも触れ、「日本軍が、軍事優先をかかげて非戦闘員にたいする適切な措置をとらなかったことは、決定的な敗北にも優る許し難い恥ずべき行為であった。沖縄の人々は、この卑劣卑怯なふるまいを忘れるべきではない」と力を込めている。
「山本五十六」と「沖縄」を最後に持ってきたのは、「軍神」にたぶらかされた著者が、出版人として、どうしても言い残しておきたかったからなのだろう、と推測した。
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