日本は世界のなかで最も温泉に親しみを持つ国とされる。長い歴史のなかで形づくられてきた。中には太古の昔の開湯をうたう温泉場もあるほどだ。本書『温泉の日本史』(中央公論新社)は、日本人と温泉とのかかわり、利用の歴史を系統立てて考察したうえ、通史として一冊にまとめた初めての書籍という。
著者の石川理夫さんは、日本温泉地域学会会長を務める温泉評論家。これまでにも『温泉巡礼』『温泉法則』など温泉についての著書が数多くある。長く温泉を研究してきた経験から、史料の裏付けがない言い伝えがキャッチに使われ、それがまるで史実かのように受け取られている現状をただして、温泉大国にふさわしい認識を広めようというのが本書執筆の動機の一つという。
実は、「太古の開湯」も、言い伝えが史実かのように広まっている例だ。「温泉地の始まりに関する話には、開湯千何百年といった伝承が多いが、扱い方に注意が必要。実際には、中世に多く編まれた温泉縁起(温泉寺縁起)にもとづくものも少なくない」という。
石川さんは、飛鳥・奈良時代から昭和・平成の時代までの温泉史をたどる。古事記、日本書紀から各地の郷土史誌にいたるまでの史料、文献にあたり、温泉をめぐる記述、描写を丹念に拾い上げ本書をまとめあげた。文献上で初めて登場する温泉は、古事記の松山の道後温泉。453年、皇太子の木梨軽太子(きなしのかるのみこ)が、同母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)との禁断愛で流刑になった先が「伊代湯(いよのゆ)」とよばれた道後温泉だった。
日本書記に温泉記述が初登場するのは、飛鳥時代の舒明天皇3年(631年)9月に、天皇が兵庫・有馬(有間)温泉を訪ねた初行幸記録。7年後にもまた有馬を訪ねているのだが、1回目のときには単に「有間温湯」という記述だったのに対し、この2回目のときは「有間温湯宮」とあり、滞在用の御所が用意されていたことをうかがわせる。
記紀にも登場するなど格別に古いのは、道後、有馬と和歌山・白浜。その後、東日本での発見・開拓が進み、神奈川・箱根、静岡・熱海、群馬・草津など、現代でも温泉地としてにぎわっている各地の名湯に人が集まるようになる。戦国時代には、隠し湯を持つ武将は武田信玄ばかりではなく、兵士のリハビリなどに利用されるケースは多かったとみられる。
時代ものの小説や映画、テレビドラマでは湯治のシーンが少なからずあり、各地の温泉場での出演女優の入浴場面がウリになっていたし、江戸時代までには相当に温泉開発が進んでいたのではとも思えるが、本書によると、史料などから江戸時代よりも前から存在するのが確実な温泉はわずか62か所。現在、全国にある温泉地は3000か所以上というから、温泉の歴史は悠久の流れのなかにあっても温泉大国としての歴史は割り引かなくてはならないのかもしれない。
温泉の歴史をよくみると錯覚やフェーク情報がつきまとう一方、いつの間にか迷信も生まれている。東日本の温泉は、温泉史でみると新興の地域なのだが、そのせいか、本書によると、露天風呂に混浴が少なくないという。そこへ温泉好きの女性がバスタオルを着け入ろうとすると、年配男性らから「日本ははだかで入浴するのが伝統だからタオルをとりなさい」などといわれ、女性が途方に暮れることがあるという。喜劇やコントなどでも演じられるケースだ。
「しかし...」と著者。「歴史的には湯具着用こそ入浴のスタンダードだった。新しい湯ふんどしを着用せずに入ろうものなら叱られるのが、草津をはじめ温泉地の習いであった」。さらに「はだかでの入浴は<伝統>というほどのものではない」ときっぱり。混浴で女性に「タオルをとれ」などというのは実は、浅はかなセクハラなのでご注意を。
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