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ネットの誹謗中傷、「ブッダ」が見たら何という?

ネットカルマ

 ブッダが2500年前のインドで仏教を生み出したとき、「自分の行動のすべてが記録されていて、必ずその報いを受けなければならない世界は、人間を幸福にしてくれるのだろうか」という疑問があったという。そんな世界は苦しみ以外の何物でもない。そこから脱出するにはどうすればいいのか。それが仏教という考え方、生き方だったと本書『ネットカルマ』(角川新書)著者の佐々木閑・花園大学教授は言う。

れっきとした「悪行」

 すべてをお見通しであるという記録システムを、仏教では「業(ごう)」、古代インド語では「カルマ」と呼ぶ。

 本当にお見通しなのだろうか。見られているから、悪いことをすると必ず報いが来るなんて、科学的な考えではないという人もいるだろうが、いよいよそれが現実になってきたのがネット社会。書名はそのことを表している。

 ネットには利用者の足跡が残され、保存されていく。メールのやり取り、写真や動画、音声などが記録され、その関連性が瞬時に検索できる。自分では利用していないつもりでも、他人が情報を書き込んでいる。恋人時代に撮った写真が、別れた後もネットに残り、とんでもない形で跳ね返ってくる。子の代、孫の代になっても、記録が消されることはない。「親の因果が子に報い...」なんていうことが、起こりかねない。ネットカルマには、「忘れてもらえない怖さ」がついてくる。しかも、その足跡は「歪められた人物像」かもしれない。

 ネットで「いいね」をもらうため、人生のエネルギーを費やしても、その喜びが一生続くわけでもなく、注目されてそれが逆効果となって苦しむ原因ともなる。多くのネット利用者が思い当たるだろう。「お天道様はお見通し」ならぬ、「ネットはお見通し」の時代となった。

 ネットを楽しむ人が陥っている罠に匿名性がある。本来は自分の名前を隠すことはない。なぜ隠すのか。それは悪い行為だという後ろめたさや悪行だからだ。ブッダは「他人への誹謗中傷はれっきとした悪行で、悪しき業をつくる」といっている。だとすると、その業が報いを受けることになる。ネットの監視社会は、その報いを実現する可能性を秘めている。

恨みの連鎖が地球上を覆う

 何かを批判することが人間の正当な活動のように思いこむ。少しでも気に入らないと、すぐに文句を書き込む。社会悪を弾劾する正義の代表のような口調で書き込む。ネットでの批判を、ご飯を食べるのと同じような日常的行為と勘違いしている人もいるようだ。 恨みの連鎖が地球上を覆い、憎悪は堆積して排他主義を生み、ネットは恨みを可視化し、あらゆるところに振りまく道具になっている。

 思い当たりますね。

 この難しいネット社会をどう乗り越えるか。一つのヒントがブッダの教えの中にあると、ブッダの言葉を紹介している。

 「自分を救えるのは自分自身である。他の誰が救ってくれようか」

 「戦場において百万人に勝ったとしても、ただ一つの自分自身に勝つことのできるものこそが、最高の勝者である」

 「他人の間違いに目を向けるな。他人がしたこと、しなかったことに目を向けるな。ただ、自分がやったこと、やらなかったことだけを見つめよ」

 著者はいったん京都大学の工学部に入学した。のちにノーベル賞を受けるかもしれないような先輩を見て、これはとても自分が追いつける学問ではないとインド哲学の道に転向した。古代インド仏教学が専門だが、物理学者との対談など、幅広い分野で発言している。今回は、ネットと社会、人間との関係を2500年前のブッダの視点から見直している。

  • 書名 ネットカルマ
  • サブタイトル邪悪なバーチャル世界からの脱出
  • 監修・編集・著者名佐々木 閑 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2018年8月10日
  • 定価本体800円+税
  • 判型・ページ数新書・204ページ
  • ISBN9784040821450
 

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