戦後の論壇で、保守陣営の論客とされた有力な知識人は、先の戦争に対して批判的だった――本書『保守と大東亜戦争』(集英社新書)はそうした観点から戦前と戦後を振り返ったものだ。
著者は「リベラル保守」として引っ張りだこの中島岳志・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(専攻は近代日本政治思想史、南アジア地域研究)。本書には保守の代表的な知識人として竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、福田恆存、池島信平、山本七平、会田雄次らが登場する。
著者はまず開戦時の年齢に注目する。竹山道雄38歳、田中美知太郎39歳、池島信平31歳、福田恆存29歳。このあたりは戦前・戦中の言論界でも活動し、戦後の保守論壇をけん引した。それに続く会田雄次は25歳、山本七平は19歳11か月。彼らは軍隊経験がある世代。
その後に保守論壇に登場する渡部昇一は11歳、石原慎太郎は9歳、西尾幹二は6歳。戦争体験という意味では世代的に大きな差がある。同じく保守といっても、歴史認識や戦争認識に差があると見る。
本書でまず詳述されるのは竹山氏。戦後の著作『昭和の精神史』をもとに、氏のスタンスを紹介する。竹山氏によれば、戦前の超国家主義や軍国主義の担い手は、ファッショ化した革新主義者だった。そうした急進的な改造を退け、天皇機関説を重視した旧体制の人たちは、テロの対象になった。革新イデオロギーによって天皇制が乗っ取られ、戦争に突き進んだという。
竹山氏は一連の戦争をアジア解放の聖戦として正当化すべきではないと主張し、アジア諸国の独立は「日本の意図からよりもむしろ歴史の成り行き」と突き放す。一方で戦後、論壇などで力を持ったマルクス主義者については超国家主義者と同根と見て、保守の立場から、両者が共有する革新イデオロギーを批判したという。
つづいて登場するのは田中美知太郎氏。ギリシャ哲学者として高名だ。『時代と私』という自伝を71年に刊行している。
「二・二六事件以後五年間の日本は、およそ愚かしいこと、不正なことのすべてが行われ、日本の運命が暗く閉ざされて行った五年間であり、それから後の四年間は要するにその結果を刈り取っただけのことである」
「わたしたちが昭和の軍閥をにくむのは、かれらが・・・みだりに皇道だの大義だの国体だのと、当時の美名を偽善的に濫用し、政治に従ふべき彼らが逆に政治を支配し、その結果は大失敗となり、全国民にあらゆる苦難をなめさせたからであらう」
著者はかつて田中氏の『時代と私』を読んで「保守派だからといって、みんなが大東亜戦争に至るプロセスを肯定的に捉えていたわけではない」ということを知り驚いたという。その後、本書に登場するような論客たちをさらに研究し、彼らが超国家主義という思想に批判的で、大東亜戦争に対する懐疑的な考えを共有していたことを再確認。「超国家主義と保守思想は相容れない」と考えるようになる。
本書では評論家の鶴見俊輔も「本来の保守主義の復権を切望していた人物」として登場する。本来の保守主義とは、現状肯定でもなく、国家への従属でもない。それが「明治・大正・昭和を通じて、きわめて薄い層としてしかなかった」ことが大東亜戦争に至るプロセスの問題だったと鶴見が指摘していることを紹介している。
先の戦争は「15年戦争」とも呼ばれ、1931年の満州事変あたりから書き始められることが多い。加藤陽子さんのベストセラー、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮社)は、満州事変よりもさらにさかのぼり、長い年月をかけて戦争準備がされていたことを説いていた。戦争体制に突き進むための国民の思想統制ということについては、辻田真佐憲さんが『空気の検閲』(光文社新書)で、32年の上海事変、満州国建国のあたりから、検閲がいちだんと厳しくなったと指摘している。
したがって、田中美知太郎氏のように突然、36年の2.26事件から、日本が異質の体制に変貌したのではない、との見方もあるだろう。ただ、あの時代を生きた田中氏からしてみれば、はやり「2.26以前と以後」では世情が激変し、軍人主導国家になったという強烈な感覚があったにちがいない。
ともあれ本書は、戦争を知る保守知識人と、その体験がほとんどない保守知識人との世代ギャップを指摘した点で新鮮だ。いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる層も含めて、近年、新世代の「保守」の側では「大東亜戦争」を肯定するかのような言説が一定の力を持っている。中島さんの本書は、「戦後保守の大御所」たちがそうした見方に批判的だったということを具体例と共にわかりやすく示していて興味深い。帯では保阪正康さんが推薦文を載せている。
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