早くもベストセラーの上位に顔を出している。『昭和の怪物 七つの謎』 (講談社現代新書)。ノンフィクション作家で歴史研究者の保阪正康さんの近著だ。
東條英機、瀬島龍三、石原莞爾らおなじみの「怪物」たちが登場する。40年以上にわたる関係者への取材がベースになっている。すでに書かれた話も多いが、コンパクトにまとまっているので、日本人が8月に改めて読み直すにはぴったりだ。
まず東條英機について。陸士出身で長年、東條に秘書として仕えた人物に何度も会って実像を聞いている。
「東條英機という人は、文学書を読んだことがありますか」(保阪)
「小説のことか? ないと思う。われわれ軍人は小説を読むなんて軟派なことに関心を持ったら、軍人なんか務まらないよ」(元秘書)
東條は1936年の2.26事件で皇道派が失脚した後、陸軍次官、陸軍大臣として陸軍の実権を握る。当然ながら主戦論者。和平の道を探る近衛文麿首相との対立が激しくなる。しかし後継首相に自分が指名されるとは夢にも思っていなかった。内大臣の木戸幸一は、強硬派の陸軍を抑えられるのはその主導者である東條しかいないと考えた。天皇も「虎穴に入らずんば虎子を得ずだね」と同意する。
こうして1941年10月、首相になった東條だが、あるとき秘書に「近衛さんが開戦前に自分と対立したときの苦衷は今になってわかる」とつぶやいたという。実際、開戦2日前の12月6日、首相官邸の一室で皇居に向かって正座し、号泣していた。その姿を東條夫人がそっと襖を開けて目撃している。保阪さんの取材に夫人自身が明かした秘話だ。
いわば「条件付き」で首相になったのに、「和平」を選択できなかった。それが「負い目」になり、「勝たねば」と突き進んだのではないかと元秘書は見る。
そのせいか、首相になってからの神がかりぶりは尋常ではない。「敵機」は高射砲で撃ち落とすのではない、精神で撃墜するのだ、と飛行学校で訓示していたというから驚く。
日本を滅亡寸前に追い込んだ東條体制を広い意味で支えた一人、それが瀬島龍三だ。戦前は大本営参謀、戦後は長期のシベリア抑留、伊藤忠商事の重鎮、臨調の委員。全く別人のような4つの人生を歩んだ。
保阪さんは1987(昭和62)年3月、瀬島が中曽根内閣のブレーンとして絶大な力を持っていたころ、計8時間のインタビューをしている。その時の瀬島の対応が面白い。
「君はよく勉強しているね」とほめあげ、「私は、君が興味を持っている昭和史については誰よりも詳しいと思う。それに今の私のもとにはどういう情報でも入ってくる。君には私の事務所にはフリーパスで入れるようにするから、いつでも自由に訪ねてきなさい。きっと君のためになると思う」とささやいたというのだ。もちろん、保阪さんはその誘いに返事はしなかった。
保阪さんは、瀬島の証言には嘘やごまかしがあることを見ぬく。本書で詳しく書かれている。それは瀬島に限らず、旧軍官僚に共通するとも。とりわけ重大なのは、彼らが「第一次資料にも手を入れて改竄する」ことだと指摘する。それらは加計、森友に登場する官僚たちの体質にも引き継がれている、彼らの何人かはいずれ歴史を記述する書の中で将来にわたってその汚名が記録されるのではないか、と警告している。
先ごろ亡くなった渡辺和子さんについての思い出話も興味深い。渡辺さんは2.26事件で反乱軍に襲撃され、殺された渡辺錠太郎・陸軍教育総監の次女。9歳の時、現場で事件を経験した。その後、和子さんはカトリック修道女になり、『置かれた場所で咲きなさい』などのベストセラーで知られる。
「赦(ゆる)し」について、保阪さんが聞いたとき、和子さんは、「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」と答えたという。
反乱軍の青年将校らの慰霊の集いには何回誘われても行かなかったが、五十回忌には、澤地久枝さんらに背中を押され、出席した。しかし和子さんは「汝の敵を愛せよ」というつもりで行ったのではないときっぱり。「父がよく言っていた『敵に後ろを見せてはいけない』という言葉を思い出して参ったのです」。
本書ではこのほか、吉田茂、犬養毅らも登場する。BOOKウォッチではすでに保阪さんがエリート軍人の自伝・回想録を分析した『帝国軍人の弁明』(筑摩書房)も紹介している。
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