夏が来ると戦争を思い出す。というか、戦争のことが身近になる。メディアがいろいろ報道するから気になるのか、それとも戦後生まれであっても、自らのDNAに「苦い記憶」として戦争のことが染み込んでいるからか。
最近、新聞の書籍広告で目に留まったのがこの本だ。『帝国軍人の弁明』(筑摩書房)。著者は近現代史研究で知られるノンフィクション作家の保阪正康氏。「エリート軍人の自伝・回想録を読む」というサブタイトルに惹かれて、さっそく買ってみた。
著者は、明確な問題意識を持って書き起こす。昭和の戦争(満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争)の軍事的責任、政治的責任はどうなっているのか。なぜ日本国民は自らの手で、あるいは自らの視点で、責任を問うことをしなかったのか。
その答えとして3点を挙げる。第一は、東京裁判が行われたこと、第二は責任論が昭和天皇に及ぶと考えていたこと、第三は「一億総ざんげ」が何とはなしに受け入れられたこと。
それぞれについて著者は、違和感を語る。東京裁判は、日本国民の意識を反映しているわけではない。昭和天皇に戦争の責任はあると思うが、軍事上の大権を持つ天皇に対して、陸海軍の指導者は、正確な情報を伝えていなかった。余りにも無責任な情報、意図的に虚偽の報告をしていた。「一億総ざんげ」には軽重がある。軍事上の最高責任者と一庶民との間には責任に天と地の開きがあるはずだと。
このような問題意識に立って、著者は戦争を指導した軍人たちの責任を改めて問う。彼らは歴史の先達に対し、あるいは将来の児孫に対し、どのような申し開きをするのか。その検証を、我々を含めた次代の者が行わないことは、それ自体が罪であると。
本書では10人の高級軍人の回想録や手記を取り上げている。石原莞爾、瀬島龍三、堀栄三、田中隆吉、遠藤三郎、武藤章、河邊虎四郎・・・。いずれも高名な軍人だ。開戦から終戦に至るまでの生々しい経緯、帝国陸軍内の空気、書き手の政治的立場や帝国陸軍内での地位、見識と教養に触れながら、それぞれの語り手としての誠実さにも言及する。
加えて著者は、重い戦争責任があるのに回想録を残さなかった指導者たちを厳しく糾弾する。首相兼陸相だった東條英機、参謀総長だった杉山元、あるいは東京裁判でA級戦犯容疑者に指定された軍人らだ。「彼らはひたすら法廷での弁明に終始し、歴史に対しての責任を果たしていない」「東條など巣鴨プリズンに収容されている間に、本来なら回想録を残すべきであった」と。
著者は陸軍軍人に絞って取り上げた。海軍軍人についてはこう補足する。
「陸軍と共通点もあれば相違点もある。いや陸軍よりも巧妙に将官たちは責任逃れをしているともいえる」「海軍の高級軍人たちが何を書き残したか、それらもまたいずれ検証されなければと思う」
軍人たちの回顧録は、素人が読んでも虚実の判断が難しい。うっかりすると、巧みな論述に絡め取られてしまいそうな気がする。彼らが語るのは、後世への警告なのか、それとも自己弁護なのか--。著者が主張するように、本書を通じて、軍事上の責任が問われるべき軍人と、そうではない軍人の回想録を見分ける目を持ちたいと思った。
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