ビートたけしは、お笑いコンビ「ツービート」で毒ガス漫才をウリに人気者となったが、毒ガスの本領を発揮したのは、漫才人気の余勢をかって出演を始めたラジオの深夜放送に違いない。ニッポン放送の「オールナイトニッポン」で1981年1月から約10年間パーソナリティーを務め、数々の毒ガス伝説を残したものだ。
本書『ビートたけしのオールナイトニッポン2018 幸せ元年』(文藝春秋)は、同番組が昨年50周年を迎えたのを記念して行われた、週刊文春の「復活誌上放送」と同局でオンエアされた復活放送を再録したもの。毒ガスネタの誕生秘話など次々繰り出すほか、1986年の講談社襲撃事件の真相を明かしたうえ、知られざる後日談にもトークは及ぶ。
「序」によれば、本書は11冊目のビートたけしのオールナイトニッポン本。ビートきよしと組んだツービートの漫才も、たけしがお笑いタレントとして演じるパフォーマンスも、毒舌ネタが人気をよんでいるものだが、最新刊の本書でも、たけし独特の毒は大いに楽しめる。
本書は2部構成。第1部は「オールナイト文春」。昨年10月に週刊文春誌上で3週に渡り掲載された「復活誌上放送」で、番組での相棒だった放送作家の高田文夫さんを交え、オールナイトニッポンの名物パーソナリティーで元ニッポン放送社長の亀渕昭信さんが司会を務めた。第2部は同年3月に放送されたたけしと高田さんの番組の内容を収めた。
オールナイトニッポンで、毒ガスの本領を発揮できたのは、高田さんというブレーンの放送作家が相棒としていたからこそとたけし。亀渕さんによると、当初はツービート2人による番組が考えられていた。ギャラなどの関係でたけしだけになった。たけしは「ツービートじゃ、ラジオのトークは盛り上がんないんですよ」。相方のきよしさんは山形出身。「あいつ雪と田舎の話ばっかりで『新日本紀行』みたいな放送になっちゃうじゃない」。亀渕さんも「たけしさんのオールナイトニッポンの凄さは、高田文夫という人を相方にしたという一点に集約されるかもね」と応じている。
たけしはこう述べている。「漫才は相方とネタを繰り出しては切り返すという段取り仕事。だけど、ラジオは一人喋りになるんでペースや話の筋が測れなくて辛い。そこに高田先生という日本一のお客がいてくれたお陰で、巧く横道から戻して貰えたな。話も色んな方へ広がるしネ。きよしさんと演ったら、フリートークも話題が変な方向へ曲がって、曲がってどっかへ行っちゃったはず」
本書に収録されているやりとりもまさにそのまま。たけしが毒を吐けば、高田さんがそれに突っ込んでさらに促すか、あるいは「やめなさい!」といったかんじで話題を転じる。しかし決して禁止用語を口にしないなど、聞いているものを不快にさせることがない。「橋の欄干を渡ってるんですよ。落ちそうで落ちない。これを言っちゃいけないってのが必ず、ノッてても分かってたんだよね」とたけし。高田さんはそれを受けて「塀の上の懲りない面々だよ。ギリギリのところ、ずーっと歩いてる。これは反射神経ですね。本番になったら瞬間にさけるの」と述べている。
「落ちそうで落ちない」「ギリギリのところ歩いている」ことをファンも承知。だからアブない話にも安心して笑っていられる。たけしの「毒ガス」は実は、「毒」ではなく、聞くものにはカタルシスをもたらすものだったのだ。
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