1981年に発売されるや100万部以上売れた田中康夫氏の小説『なんとなく、クリスタル』(河出書房新社)には、80年ごろの東京の大学生の生活や風俗があますことなく描かれ、一部の女子大生は「クリスタル族」と呼ばれるほどの社会現象となった。田中康夫氏が出た一橋大学のOBには石原慎太郎氏もいて、石原氏の小説『太陽の季節』に由来する「太陽族」という流行語が、戦後の無軌道な生き方をする若者像を象徴したのに対し、「クリスタル族」はこぎれいな商品にどっぷりつかった消費生活を満喫する大学生を指した。『なんとなく、クリスタル』は当時、「ブランド小説」と評されたが、後につづくブランドブームを先取りしていたといえよう。
その後、長野県知事、国会議員(参議院議員、衆議院議員)になり、「新党日本」をつくったり、落選したりとキャリアを重ねてきた田中氏。2014年に出したのが本書『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出書房新社)である。たしかに33年経っている。
作者が過去の作中人物たちに再会するという物語である。当時の女子大生たちはアラフィフもしくは還暦ちかいマダムとなり、この間、仕事でも家庭でもさまざまな経験を積んできたことがわかる。
当時、「なんクリ」と呼ばれた『なんとなく、クリスタル』は、「もとクリ」と、そして本書は「いまクリ」と日本文学研究者のロバート・キャンベル氏は名付けた。両者の間には33年という時間の経過があるだけではない。構造的な変化がある。
「もとクリ」は、本文に442もの註がつき、単行本の発行時には右ページに本文、左ページに註という異例の形態の本として出た。なんとも無内容な本文と比較して註には、著者のうんちく、こだわり、偏見が注ぎ込まれており、「註あらばこそ」と一部の文芸評論家は評価した。なかでも文藝賞の選考委員だった江藤淳氏は「記号の一つ一つに丹念に註をつけるというかたちで、辛くもあの小説を社会化することに成功している」と激賞し、受賞を強く推したのだった。(註)
「いまクリ」にも註はある。文庫版で本文267ページに対し註は80ページ。だが、今回は文字通り、註に徹している。むしろ本文に著者のこの間の人生経験や政治哲学がにじみ出て、極上のワインのような芳醇な香りをたたえている。33年かけて本文も発酵したのかもしれない。
本文の最後には、「もとクリ」の最終ページからの再録(人口問題審議会『出生力動向に関する特別委員会報告』と55年版厚生白書からの引用)と2000年代以降の出生率の低下や推計人口の減少を示す各種統計データが対比するように載っている。著者は33年前に、ちゃらちゃらしたメッセージだけでなく、「これからは右肩下がりの日本だよ」という恐るべき警告を発していたのだ。当時、だれもが見過ごしてしまったが。
本書は文庫化にあたり、「ひとつの新たな長い註」がついた。
註 『なんとなく、クリスタル』は80年度「文藝賞」を受賞、同年度下半期芥川賞候補となった。発表日直前に、毎日新聞が社会面で同作品について「なんとなく、クリミナル」という見出しで報道した。その影響があったかどうかは不明だが、受賞作は尾辻克彦『父が消えた』。
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