本を紹介する仕事をしていると、すばらしい内容の本が絶版状態になり、忘れ去られていることに気づく。本書『職業としての編集者』(岩波新書)も確実に、そうした惜しい本の中に入る一冊だ。
著者の吉野源三郎さん(1899~1981)は、ベストセラー『君たちはどう生きるか』の著者だ。80年前に書いた本が最近また奇跡的にリバイバル、いま再びその名がよみがえり、改めて光が当たっている。
吉野さんは『君たち・・・』のほかにも何点かの少年少女向けの作品を残してはいるが、本業は編集者だった。それもただの編集者ではない。岩波書店の卓越した「良心的な」編集者として知られた。長く雑誌「世界」の編集長を務め、進歩的知識人の代表格として、日本の行く末を案じ、積極的に行動もした。近年の日本の出版界でそうした経歴の人はほかに見当たらない。まさに特筆すべき存在だった。
その吉野さんが、自らの編集者としての人生を振り返ったのが本書である。これは吉野さんの没後に、同社の後輩編集者たちが、生前の遺稿をもとに編集し、岩波新書の一冊として公刊したものだ。タイトルの「職業としての編集者」も編集部の命名。とうぜん、マックス・ウエーバーの「職業としての政治」を念頭に置いたものだろう。ウエ-バーが政治に関わる人たちのあるべき姿を示したのと同じように、おそらく吉野さんも「編集」に関わる人たちのモラルや留意すべきことを、こんなふうに説きたかったに違いないという思いが込められている。
それはとりもなおさず、吉野さんの遺稿が、「一編集者の回想記」や「裏話」のレベルをはるかに超えているからにほかならない。
一般に「プロの中のプロ」編集者と思われていた吉野さんだが、実際に編集の仕事を始めたのは遅かった。岩波の入社は30代の終わりごろ。そこに行きつくまでに、長い回り道をしていた。東大の哲学科を出たあと軍隊に入り、東大図書館につとめ、治安維持法で捕まって一年半の刑務所生活。作家の山本有三の好意で新潮社の「日本少国民文庫」の編集主任になり、そこで『君たち・・・』を書く。同じころ明治大学文芸科講師...。
そうした経緯は「私の歩んだ道」として本書の冒頭に掲載されている。それを読むと、不思議なことに気づく。こちらは1969年に書かれた文章なのだが、1937年に書かれた『君たち・・・』と何となく似ている。漢字で書くべき言葉もしばしばひらがなにするなど平易な文体。全体を「ですます調」で通している。『君たち・・・』にはいじめの話も出てくるが、「私の歩んだ道」の中にも、中学時代にとつぜん、「ある出来事をきっかけに、ほとんどクラスの全員が私と口を聞かなくなった」ことが記されている。
本書を通して、どのような人物によって、『君たち・・・』が書かれたのか、改めて知ることができる。そしておそらく読者は気づくだろう。『君たち・・・』の主人公の少年コペル君は、実は吉野さんの少年時代ではないかと。そして本書に収められた「私の歩んだ道」とは、少年コペル君が成長し、出版人となった姿ではないかと。
コペル君も勉強家だったが、吉野さんも勉強家だった。もともとは一高から東大の経済学部に進んだのだが、社会科学をやる前に哲学の基礎を固めようと哲学科に移る。2、3年とりくんでまた経済に戻ろうと思っていたのだが、実際に哲学を学び始めると、一生かけても足りないとわかる。そうして生涯、勉強を続けたのが吉野さんだった。
カバンはいつも、海外から取り寄せた多数の雑誌や書籍でパンパンに膨れ上がっていた。亡くなった病室の枕元にはヘーゲルの『歴史哲学』の原書、中国の仏教書『碧巌録』、それに『唐詩選』などがあった。 1946年11月号の「世界」の編集後記で、吉野さんは編集者の役割について、「現代における精神的生産の助産婦」と記している。ヘーゲルの香りがする「精神的生産」という言葉に、戦後間もないころの出版人の気概を感じた。
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