ノーベル賞受賞は確実だと言われる「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」技術。これは、これまでの遺伝子組み換え技術とは異なり、ゲノム内の特定のDNA配列を高校生でもできるほど簡単に書き換えられる「ゲノム編集」という画期的発明だ。この技術を開発した米国の女性科学者が自ら、クリスパー・キャスナインが誕生するまでと今後の応用可能性について記した注目の1冊だ。
どれほど画期的かというと、「食料庫でゆっくり熟し、何カ月も腐らないトマト。気候変動に適応する植物。マラリアを媒介できない蚊。警官や兵士の恐ろしいパートナーになる、筋肉隆々のイヌ。角の生えないウシ」が、すでにこの技術で実現していることからも想像できよう。可能性としては、ブタから人間の移植用臓器が得られるかもしれないし、マンモスや翼竜、ユニコーンを作り出せるかもしれない。まさに人間の暮らしや文化を確実に変える革新的技術なのだ。
前半の第1部「開発」では、クリスパー・キャスナインが誕生するまでが描かれる。動物の感染防御に関わるRNA研究をしていた著者が、同僚研究者に影響されて単細胞生物である細菌がウイルスの攻撃から身を守る免疫システムとしてのキャスパーの研究に着手する。この研究を通じて、ウイルスのDNAを壊す免疫系に必要なたんぱく質キャスナインと特定のRNAを突き止める。そしてこの研究から生まれたのが狙ったDNAを切断して書き換える画期的な技術だった。この過程はやや難解だが、ひらめきや辛抱強さ、試行錯誤、ライバルとの駆け引きなど、新発見物語の面白さがすべて詰まっている。100%理解しようと思わずに、読み進めてもいい。なぜなら、著者が伝えたいのは自らの研究開発物語ではないからだ。
著者が開発したゲノム編集の画期的技術は今も、世界中で驚異的なスピードで応用研究が進められている。この研究によって、これまで治療できなかった遺伝子由来の難病が治療できるかもしれないし、生産効率のいい家畜を作り出すことで将来の食糧不安が解決できるかもしれない。しかし、誰にでも簡単にこれらの研究を手掛けられる容易さは、脅威でもある。つまり、悪用しようと思えば誰にでもできてしまうのだ。
さらには、神の領域に手を伸ばすという科学者の誘惑を抑えることができるかという不安もある。事実、中国では生殖細胞のゲノム編集実験が行われた。生殖細胞が改変されれば、それが未来永劫引き継がれてしまう可能性がある。実際、クリスパー・キャスナインはアメリカの諜報機関から、大量破壊兵器の1つに認定されているという。
「豚の顔をしたヒトラーに協力を求められる」悪夢に悩まされた著者は、研究室から外に出ていく覚悟をする。ゲノム編集の技術が悪用される前に科学者や社会と対話を進めなければならない――。
ここからの著者は実に精力的だ。かつて遺伝子組み換え技術が誕生した時に、科学者、法学者、ジャーナリスト、政府関係者を交えた国際会議「アロシマⅡ」が行われたことにならい、国際会議を招集するなど「対話」を推し進めていく。だが、容易に結論は出ない。
著者が本書を出版した理由もここにある。自らの研究の、成果だけでなく懸念材料まですべてを書き出したのも、社会的議論のテーマに取り上げられたいという思いがあるからだろう。この問題はもはや科学者だけの課題ではない。私たち全員が考えるべき問題なのだ。(BOOKウォッチ編集部 スズ)
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?