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日本で女性議員が少ないのは、徳川家康のせい?

<女帝の>日本史

 10月に行われた衆院選で女性候補者は209人で、全候補者(1180人)に占める割合は17.7%と過去最高を記録した。しかし、当選者数の割合では10.3%で選挙前の9.3%と比べると微増にとどまり、193か国を対象にした女性議員の比率の国際ランキングでは同選挙前後でほとんど変わらず160位台だった。

 スウェーデン(43.6%)、スペイン(39.1%)、フランス(39%)、英国(32.0%)などの欧州各国と大きな差があるうえ、同じ東アジア諸国と比べても、中国(24.2%)、韓国(17.0%)、それに北朝鮮(16.3%)にも遅れをとっている。著者は「日本固有の事情があると考えるべき」として、古来の女性権力者の系譜から読み解くことを試みている。

普通のことだった女帝の歴史

 著者は日本政治思想史を専門とする政治学者。近現代の天皇や皇室、神道を研究の対象にしている。本書の出版について「あとがき」で「一体なぜ、西洋諸国はもとより、東アジアでも女性の政治参加は着実に増えているのに、日本はそうならないのか。はじめから日本はそういう国だったのか。それを知るためには、目の前の現実からいったん離れて、歴史の起源にまでさかのぼるとともに、東アジアのなかで日本をとらえるという視点も同時にもつ必要があると思った」と述べている。

 女性の政治家が日本で極端に少ないことの理由としてしばしば「女性は家庭を守るもの」というジェンダー役割分業観があげられるが、東アジアではこうした分業の考え方は儒教に由来しているといわれる。ただ、儒教の影響が強い中国や朝鮮半島での女性の進出状況をみれば的を射ているとはいえない。韓国では女性大統領も誕生している。

 著者が注目したのは「君主」。かつては東アジアの国々には君主に相当する人物が存在し、日本の「天皇」の地位を含め、それぞれ関わりかたは異なるものの、その地位に女性が就くことが少なくなかった。

 平安時代の摂関政治の間にも、その後に武家が力を持った鎌倉時代以降にも、その時代ごとに権勢を得た女性はいたし、下剋上の戦国時代にも夫の武将亡き後のお家を切り盛りした女性らの活躍が伝えられている。

 著者が「転機」とみるのは豊臣秀吉の側室、淀殿だ。秀吉亡き後、その跡を継いだ秀頼の生母として豊臣政権の継続を目論み、実権を握った徳川家康と対立したことが知られている。家康は淀殿の振る舞いをみて、女性が権力を握ることを恐れ、正室を迎えず、身分の低い女性を注意深く選んで側室にしたという。

 日本の「普通のことだった女帝の歴史」は、こうして「男系イデオロギー」によって隠蔽され、女性の権力は「母性」などに矮小化されたのではないかという。

 週刊新潮(2917年11月23日号)で詩人の渡邊十絲子さんは「日本は、あるとき女帝を排除することにしたのだ。あからさまな男尊女卑思想を説いても許される『空気』がそのとき日本を覆い、その影響は現在まで尾を引いている。女帝排除の現代は、日本の長い歴史と伝統のなかでむしろ特異なのに」と述べている。

  • 書名 <女帝の>日本史
  • 監修・編集・著者名原武史 著
  • 出版社名NHK出版
  • 出版年月日2017年10月10日
  • 定価本体900円+税
  • 判型・ページ数新書・296ページ
  • ISBN9784140885291
 

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