三笠宮崇仁(たかひと)さまが100歳で亡くなられて10月末で1年になる。昭和天皇の末弟として戦前、戦後の激動を体験し、近年の皇族では最高の長寿をまっとうされた。
大手メディアの追悼記事の中で、しばしば引用されたのが本書『古代オリエント史と私』である。なぜなら「戦時中の苦悩」「無条件降伏前後」などについて、かなりざっくばらんに語っているからだ。
三笠宮さまは戦前の皇族の定めとして学習院中等科から陸士に進む。予科の時に5.15事件、本科の時に2.26事件が起きた。当時のことを、「私は、大元帥として陸海軍を統帥する兄陛下のそのときのような沈痛な面持ちを、かつて見たことはありませんでした。おそらく、私が、大元帥と下級将校との思想的ギャップに気づきはじめた最初だったでしょう」と回想している。
1941(昭和16)年、近衛内閣総辞職後の後継として東条英機陸相が選ばれた内情についてはこう記している。
「当時の陸軍があまりにも開戦論に傾いており、大元帥たる天皇の戦争回避の意図と隔絶していました。そこで木戸氏(注:当時の内大臣)としては、天皇の思召(おぼしめし)を体して陸軍の強硬派を押さえられる人をえらぼうとして、東条氏(時の陸相)に白羽の矢を立てたわけです。それにもかかわらず、陸軍は東条首相兼陸相の抑制をはねのけて戦争への道をつき進んだのでした」
「ある青年将校――私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです――から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました」
「聖戦」のかげに、じつはこんなこともあったのでした、と語られる話はあまりにも生々しい。皇族が戦争体験について、これほどリアルに振り返った本は珍しいはず。戦後編では一転、学究の徒として再出発する様子がつづられており、一人の個人史の中に、戦前と戦後に分断された日本の100年が対比的に凝縮されている。まるで二つの、まったく別人の人生物語を読んでいるかのようだ。本書は30年ほど前の刊行であり、すでに絶版、古書も高値のようだが、主要な図書館には在庫がある。
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