結婚して子どもを産み、夫を支えるのが女の幸せ。そんな価値観は、前時代的なものとされつつある。とはいえ幼いころから刷り込まれてきた考えは、たやすく変えられるものでもない。「女だから」という無意識のバイアスに縛られてきたことに気づきながらも、いや、気づいたからこそ、自分らしく生きることに悩み、もがいている人は多いのではないか。
町田そのこさんの新刊『夜明けのはざま』に登場する女性たちもまた、自らのアイデンティティを模索するなかで、さまざまな葛藤と向き合っていく。
舞台は地方都市のさびれた町にある、家族葬専門の葬儀社、芥子実庵。葬祭ディレクターとして働く31歳の佐久間真奈は、恋人の純也からプロポーズされる。ところが純也は、「結婚するなら、いまの仕事は辞めてほしい」と"条件"を出す。「働くのはいいけど、なにも死体を触るような仕事じゃなくても......」。彼が漏らした本音を聞いて、仕事にやりがいを感じている真奈はモヤモヤを抱えていた。
そんなある日、親友のなつめが自殺したという衝撃の報せが入る。遺体は芥子実庵に運ばれた。なつめは「真奈に葬儀を担当してほしい」という遺言を残して逝ったのだ――。
2017年、36歳のときに『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビューした町田さん。以来、弱者の思いをすくいとり、前に進む勇気をくれる作品を生み出してきた。2021年の本屋大賞を受賞した『52ヘルツのクジラたち』は来春、映画化も決まっている。
今回、『夜明けのはざま』で追求したのは、「生きるとは」という問いだ。葬儀社という、死を間近に感じる場所で繰り広げられる人間ドラマを通して、町田さんならではの死生観が描かれている。そこに「女(男)らしさ」の呪縛や貧富の差、職の貴賤、親子の確執といった問題が絡み、さまざまな悩みを抱えた人々が、死を通して生を見つめ直していく。
この作品は、町田さん自身の物語でもある。作中、真奈の親友の楓子が、夫と義両親の言いなりになっていた自分を顧みて、「あたしはあんまりにも、自分の人生に無責任だったんだと思う」と話すシーンがある。その言葉は、かつての町田さんの生き方にも重なっている。
小学生のころから作家を夢見ていたが、「手に職を」という母の助言に従い、高校を出て理容師専門学校へ進んだ。24歳のころ、周囲が結婚していく中で「あんたもそろそろ家を出らんと」と言われ、当時付き合っていた恋人と結婚。のちに離婚した。
「最近になって、私って本当に自分の人生を他人に委ねすぎてたなって思うんです。誰かが決めたことに、唯々諾々と従ってきたことが情けなくて。そのことにもっと早く気づいて行動していたら、この後悔はもっと小さかったかもしれないなって思うんです。」
町田さんの「後悔」とは、「作家になって憧れの氷室冴子さんに会いに行く」という誓いを守れなかったことだ。
「ほぼ公式ストーカー」と言うほど、あちこちのメディアで氷室さんファンを公言している町田さん。「死」というものを強く意識したのは、氷室さんが2008年に51歳で早逝したことがきっかけだった。「あの方の死があったからこそ、今の私がある」と思い入れを語る。
夢をあきらめたわけではなかったが、どこかで「田舎育ちで、大学で文学を学んだわけでもない自分が、作家になんてなれるわけがない」と思っていた。
流されて生きるうちに、日々の忙しさにかまけて小説を書くことはやめてしまった。一方で、つらいことがあると「いつか作家になるんだから」とうそぶき、自分を納得させていた。そうこうしているうちに氷室さんが亡くなり、「昨日まで確かにあった夢が、すべて潰えてしまった」と、絶望したという。
「亡くなった方にはごめんなさいも言えないし、贖罪もできない。死って、本当に終わりなんだ、すごく残酷なものなんだな、と痛感しました。」
自分に対する「許せなさ」から、執筆に本腰を入れた町田さん。ついに作家デビューが決まった時、早稲田にある氷室さんのお墓に報告に行った。「しらふでは行けなかったから、前日にお酒をがぶがぶ飲んで、二日酔いで早朝にお参りに行ったんです。雨が降りしきる中、半分酔っぱらった女がわんわん泣きながらお墓に花を供えているのって異様な光景ですよね。通報されなくてよかった(笑)」。
氷室さんは、女性への差別や偏見と戦う主人公が登場する作品を数多く残している。町田さんはそんな主人公の姿に憧れ、「私もこういう人になりたい、彼女たちに恥ずかしくない自分でいようと、現実世界を生きていくための力をもらったんです」と語る。作風こそ違うものの、町田さんの作品にもその影響が見られる。「あのころの私のように、読んでくれた人が明日もがんばろうと思える作品を書きたい」という気持ちが、創作の原動力になっている。
本作は、主人公の真奈のほか、高校生の娘を持つシングルマザーの千和子、貧困家庭で育ち、母を亡くしたことをきっかけに芥子実庵に就職した須田、不慮の事故で亡くなった元彼の葬儀に参列した良子の視点で語られる。
「生きづらさをどう受け入れ、折り合いをつけて生きていくか」を書く上で、重要な役割を担ったのは須田だ。母のみじめな死を目の当たりにし、「どんな不幸な奴がいるのか見てみたい」という歪んだ動機から芥子実庵に入社した彼は、偶然、中学時代に自分をいじめていた同級生の父親の葬儀を担当する。
「葬儀は神聖なものと思われている中で、『そんなの、ただの処理じゃん』っていう人もいるはず。当初はそういう人も書かなきゃという理由で須田くんを登場させたんですけど、彼の心理を追っていくうちに、私が書きたいのはここだって、くっきりと見えたんです。」
須田目線で語られる第三章「芥子の実」では、芥子実庵の名前の由来となった、仏教の寓話が書かれている。人の生き死にに貧富の差はあるのか。その問いに、須田は自分なりの答えを見出していく。
当初は、ままならない日々を送る人々の背中を「がんばれ」と押すつもりで書いていたが、読み直すと、「あなたの痛みや苦しみ、つらい気持ち、分かるよ、私も知ってるよ」と肩をたたき、そっと寄り添う話になっていたと町田さんは言う。
「自分が感じていたもどかしさやつらさ、情けなさも、こうして小説や体験談にしてつないでいくことで、いつか誰かを救うものになるんじゃないかと思うんです。過去に同じ悩みを経験した人がいたという事実は心強いし、その人もどうにか生き抜いてきたんだと分かれば、ホッとすると思うんですよね。」
町田さんは常々、「死があるからこそ、生きることが輝く」と感じていると言う。「人生ってね、生きていればリカバーできますけど、亡くなってしまえば何もかも終わってしまう。それは、死んでしまう人にとっても、残される人にとっても同じです。だからこそ死をかたわらに感じたほうが、"生きる"は、もっと光を濃くするんじゃないかな、と思います」。
■町田そのこさんプロフィール
まちだ・そのこ/1980年生まれ。福岡県在住。2016年「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。2017年、同作を含むデビュー作『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を刊行。2021年『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞。ほか、著書に『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』『コンビニ兄弟――テンダネス門司港こがね村店』シリーズ、『星を掬う』『宙ごはん』『あなたはここにいなくとも』などがある。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?