<vol.1 後編>
日記とは、自分と対話するための道具であり、いつか誰かとつなげてくれるもの――。
新連載「50歳から見つける新しいわたし」。前回は、日記を書くことで「わたし」を見つける方法を、『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)の著者、古賀史健さんに教わった。今回は実践編だ。日記にどんなことを書けばいいのか、どうすれば続けられるのか、具体的なノウハウを聞く。
記者は文字通りの三日坊主で、日記が続かない。年明けに「今度こそは」と書き始めては、4日目の晩に筆が止まってしまうのだ。
古賀さん、こんなわたしにも、続けられますか――?
古賀さん(以下略):三日坊主で終わってしまうのって、4日目に空白ができたときに、もう1回やろうと思うか思わないかの違いだと思うんですよね。
――まさに、おっしゃる通りです。1日あけちゃうと、復帰する気になれないんですよね。
日記って、毎日書かなくてもいいんですよ。最初から「毎日書かなきゃ」っていうノルマを自分に課すと、穴があいたらもうダメだってなっちゃう。3日間書けない日が続いたとしても、また書き始めればいいんです。後になって読み返したとき、この3日間はいろいろあって、本当に余裕がなかったんだなってことが分かる。その空白も記録になります。
特にお正月の三が日が明けて日常が始まると、いろいろと忙しくなりますしね。
――もしかして年明けに始めるのって、実はめちゃくちゃバッドタイミングだったんでしょうか。
いや、そんなことは......。ぬるっと書き始めるって、難しいですよね。年明けをきっかけに奮い立つのは、とてもいいことだと思います。4日目からあいちゃったとしても、成人の日からまた始めるとか、土日だけ書くとか。365日のうち100日だけ書いているとしても、その1年は「書いている1年間」ってカウントしていいと思いますよ。
――そう考えるとハードルがぐんと下がります。特段、書くことがない日もありますし。
必ずその日のできごとを書かなくてもいいんですよ。夜じゃなくても、朝や昼に書いてもいいですし。
――え、そうなんですか? 日記って、一日のできごとを振り返って記録するものだと思っていました。
夜、眠いのをガマンして、家族が寝静まった後にようやく日記を書こうとなると、それは続かないと思うんですよね。日中、自宅にいらっしゃるなら、家族が出かけて一人になったときとか、仕事に行くのであれば、通勤時間や休憩時間にスマホで書くのもいいと思います。ぼくも、その日の日記を朝書くこともあります。
――そうなると、書くことも一日の振り返りじゃなくなりますね。
そうですね。たとえば、「昨日、歯医者に行った」って書いたとします。もちろん、歯医者でのできごとを書いてもいいのですが、そこから子どものころの思い出だとか、歯を矯正していたときの苦労だとか、高速道路から見える歯医者さんの看板。あれって何なんだろうとかって話につなげていく。その日の自分を振り返るんじゃなくて、50年なら50年分の人生を振り返って、「歯医者と言えば......」に続く何かを書いていくんです。
「できごとの記録」じゃなくて、「気持ちの記録」を書くって考える。そうやって続けていくと、自分がどんな人間なんだっけっていうことも、少しずつ見えてくるんじゃないかなと思います。
――連想ゲームみたいですね。書くネタは身の回りに転がっている、と。
そう、そのとき目に入ったものを入り口にして書き始めるんです。ぼくも毎日noteを書いているんですけど、やたらコーヒーの話が多いんですよ。なんでかっていうと、机の上にだいたいコーヒーがあるから(笑)。飲みながら今日は何を書こうかなって考えて、コーヒーの話から発展させていくんです。書いているうちに心が動いていくので、その移ろいを書き留めていけば、ちゃんとした日記になると思いますよ。
――う~ん。でも話を発展させるって、簡単なことじゃないような。その日のできごとを淡々と書くほうが楽な気もします。
もちろん、それもいいのですが、週に1回くらいはほんのちょっとがんばって、ある程度の文量のものを書いてみるといいと思います。
というのも、書くのがつらくなってくると、つい雑に書いちゃうんですよね。それで、その日の記録を箇条書きのように書いて、それが1週間、2週間と続くと、やめるのが惜しくなくなってくる。でも、時々しっかりと書いたものがあると、このままやめるのはもったいないな、せっかくここまで書いてきたんだから続けたいなって気持ちが自然と湧いてくると思います。
ぼくもけっこう、どうでもいい話を書いているんですけど、たまに書いたまじめな話があるから、やめるのはもったいないなって気持ちになります。
――古賀さんが日記を続けていてよかったと思うのは、どんなことですか?
「書く人」の目で世の中を見るようになっていくこと、ですね。それは物書きに限らず、どんな職業でも、どなたにも当てはまることだと思うんです。
たとえば信号待ちをしていて、向こうに老夫婦が立っていたとする。「書かない人」として生きていたら目に入らないけれど、「書く人」の目で眺めると、すごく仲が良さそうだなとか、会話を交わしてないけどつながっている感じがするなとか、観察する目が細かくなります。話を聞くときも、この人をもっと理解しようと耳が大きくなる。そうすると、世の中に対する感受性がどんどん高まり、日常がかけがえのないものに思えてきます。
書く人の目と耳でとらえたものをただ書いていけば、面白いとまではいかなくとも、その人にとって大事な読み物になるはずです。日記を続けることは、自分が生きている環境や周りにあるものの美しさ、素敵さを発見する手立てとしても、すごくいいことなんじゃないかな、と思います。
書くことで、世界の見え方が変わる。そう思うと、今度こそは本当に続けられそうな気がする。
さっそくシンプルな日記アプリをスマホにインストールした。「手書きだと、お気に入りの日記帳であるほど書き損じて汚してしまうのが嫌で、続かないんです」と言う古賀さんの体験談に、記者も思い当たる節があり、スマホで書くことにしたのだ。
初日はもちろん、今回の取材のことを書いた。以降は、その日に目にしたことや耳にしたことをきっかけに、自分なりの仮説やふと思い出したことなどを、つれづれに書いている。
2週間を過ぎて(記者にとっては快挙だ)、少しずつ変化があらわれた。まず、通勤電車やちょっとした空き時間にスマホを見る回数が激減した。周囲を観察し、思いを巡らしていると、毎日何かしらの発見がある。頭の中の思いをことばにすることで、日常感じているモヤモヤに、かすかながら輪郭が見えてきたような気もする。
書いたものを読み返すと、わたしって案外いろいろな経験をしてきたんだな、ひょっとしたら面白い人なのかも、と思えてきたことが、何よりの収穫だ。
すでに「ここでやめてしまうのは、もったいないな」という気持ちになっている。誰に見せるつもりもないけれど、この日記はきっとこの先、「わたし」という存在を、人と社会とつなげてくれるものになるはずだ。
「ああ。日記を書くのは自分だ。そして日記を読むのも自分だ。『わかってもらおう』とする自分がいて、『わかろう』とする自分がいる。『伝えたい』自分がいて、それを『知りたい』自分がいる。そこが日記の、おもしろいところなんだ」(『さみしい夜にはペンを持て』より)
■古賀史健さんプロフィール
こが・ふみたけ/ライター。1973年福岡県生まれ。1998年、出版社勤務を経て独立。主な著書に『取材・執筆・推敲』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のほか、世界40以上の国と地域、言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、糸井重里氏の半生を綴った『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著)などがある。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。2015年、株式会社バトンズ設立。2021年、batons writing college(バトンズの学校)開校。編著書の累計は1600万部を数える。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?