<vol.1 前編>
今年50歳を迎える1973年生まれは、団塊ジュニアの中でももっとも人数が多い。記者もその一人だ。「人生後半は、もっと自分の気持ちを大切に、やりたいことをやっていい」。世の中にあふれるそんなメッセージに敏感になった。
そうだよね、そろそろやりたいことやってもいいよね。これまで会社のため家庭のため、いろいろがんばってきたんだし。
でも......。はたと考える。わたしって何がしたかったんだっけ。これから、何ができる?
そんな迷いから企画した新連載、『50歳から見つける新しいわたし』。50になっても自分探しをしている記者が、会いたい人に会いに行き、これまでやってみたかったけれどできなかった(やらなかった)ことに挑戦する。仕事にかこつけて、個人的にやりたかったことをやっちゃおう、という企画だ。
とはいえ、やみくもに手を出すつもりはない。読んでくださった方にも発見があり、明日からの毎日がちょっと楽しみになる。そんな連載にしていきたい。
まずは「わたし」という人間を知る第一歩として、初回のテーマを「日記」に決めた。記者にとって、「やりたかったけどできなかったこと」の代表だ。年明けや年度のはじめに思い立って書き始めるのだけれど、3日で終わってしまう。
なぜ続かないんだろう? そのヒントをくれたのが、ライターの古賀史健さんの著書『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)だ。中学生向けに書かれた本だが、40代の女性を中心に、幅広い年代に読まれていると聞く。
主人公は、うみのなか中学校に通うタコジロー。学校をサボったある日、偶然出会ったヤドカリのおじさんと、「10日間、日記を書く」という約束を交わす。自分を好きになれなかったタコジローが、書くことで自分と向き合い、自らを肯定していく希望の物語だ。
この本を読んで、日記のイメージが大きく変わった。この人に聞けば、わたしにも書けるかもしれない。さっそく古賀さんに取材を申し込んだ。
古賀さんはベストセラー『嫌われる勇気』の著者(岸見一郎さんとの共著)で、『取材・執筆・推敲』という分厚い「書く人の教科書」も書いている。かなり気おくれしたが、古賀さんは物腰やわらかで、勝手にイメージしていたストイックさも感じさせない。同い年の気安さも手伝って、楽しくお話をうかがった。
――私、日記が続かないんです。理由はいろいろあると思うのですが、ひとつは変にカッコつけて書こうとしちゃうからかな、と。誰に見せるものでもないのに。
古賀さん(以下略):それは、「日記」と聞くと「評価にさらされる」っていう刷り込みがあるからかな、と思うんですよね。夏休みの日記って、必ず先生が読んで評価するものでしょう? 毎日書かないと怒られるっていう義務感もある。
それに、しゃべるのと違って「書く」ってそんなに日常的な行為ではないと思うんです。だから、身構えちゃう。頭では自分しか読まないと分かっていても、ちょっとカッコいい自分を作ろうとしたり、書くなら「ちゃんとしたことを書かなきゃ」って思ったり。書くことは、自分の気持ちを外に出すことですから。
――確かに、正直な気持ちを言葉にするのはためらいがあります。
そうですよね。一方で、過度に本音を書こうとして続かなくなるってこともあります。ぼくも経験があるのですが、自分の内面を吐露するような気持ちでシリアスなことを書いちゃうって人が、けっこう多いんですよね。
あんまりそればっかりで日記を埋めていくと、日記帳そのものがどんどん重たくなってくる。よいしょって頑張らないと開けなくなるっていうのが、続かない理由の一つにあるんじゃないかな、と。
――すごく思い当たります。それで、そうならないように「1日3つ良かったことを書くといい」って何かで読んで、実践してみたんです。でも、上手くいきませんでした。我ながら嘘っぽいなって思って。
書くときって一人になるので、自分の心の内側に入っていくと、どうしてもネガティブな方向へ流れていってしまう。それは、人間の心の仕組みとして仕方がないことだと思うんです。
ネガティブなことを書くときは、過去形にしてみるといいですよ。たとえば理不尽なことがあって、「本当にひどい」と書いたら、その後に「と思った。」って加えるんです。「本当にひどい、と思った。」って書くと、ちょっと距離ができるでしょう? そう思った自分を過去の人格として捉え直すことができるんです。
過去の自分に「つらかったね、大変だったね」って言ってあげる。すると、ネガティブな思いとお別れの儀式ができて、日記が重たいものにならずに済むと思います。
――なるほど。もう一人の自分に声をかけてあげるんですね。『さみしい夜にはペンを持て』にも、「書くことは自分と対話すること」とあります。
日常で感じたモヤモヤを、親友だったりパートナーだったり、誰かと対話する中で解消していくのが理想ですよね。でも、どんなに親密な間柄でも、隠しておきたい秘密の部分っていうのは誰しも持っています。
じゃあ、それについては誰と対話するのか。書くことによって、自分自身と対話するんです。自分に相談して、自分にこうじゃない?って答えを出す。自分とキャッチボールするための道具が、日記なんじゃないかなと思います。
――書くことで、自分の本当の気持ちが見えてくるかもしれないですね。
そうですね。それに、どんなに悩んでいたことでも、ことばにしないと自分でも忘れてしまうということもあります。真剣に悩んだり苦しんだりしていたことを、記憶の中だけですっと流してしまうのって、なんというか、そのときの自分に失礼だと思うんですよね。ちゃんと書き留めて残してあげると、「いろいろあったけど、これでよかったよね」と、真剣に生きていたあのころの自分を尊重することができるような気がします。
まあ、なんでも忘れがちになりますからね。年を取るごとに......。
――わたしなんて、3日前の記憶もおぼつかないです。
ですよね。きのうの夕飯なんだったっけ? みたいな(笑)
――この年齢になると、対話する相手がいなくなるんじゃないかっていう恐怖もあります。子どもが巣立ったり大切な人が亡くなったりして、そう遠くない将来に、孤独で「さみしい夜」がくるんじゃないかっていう。
ああ、ぼくもちょうど50歳なので、その気持ちはよく分かります。ぼくが物書きの仕事をやっていて良かったなと思うのは、書いたものが本や記事として残ることなんですよね。自分の分身をいっぱい置いておけることが、一つの安心感になっている。仮に一人きりになったり、ぼく自身がいなくなったりしても、自分に触れてくれる人がいるような気持ちがするんです。それは、書いたものの中に自分がちゃんと宿っているからだと思うんです。
日記も同じで、自分の考えや気持ちが詰まった分身のような存在になるんじゃないかと思います。
――ですが、日記は他人の目には触れないものでしょう?
もちろん人に読ませるものではないですし、自分との対話を繰り返すだけで、その作業を「さみしい」と感じる人もいるかもしれません。それでも、誰かの目に触れる可能性はゼロじゃない。頭の中から外に出したことばは、うすーい糸みたいなもので周りの人とつながっているはずなんですよね。これを読んでくれた誰かは、わたしのことを分かってくれるはずだという淡い期待や、読まれたくないけど読んでほしいという矛盾した気持ちが、その中にはきっと宿るはずです。
もちろん、書くときは一人ですし、子どもが巣立っていったり、パートナーと別れたり、両親がいなくなったり、「状態」としてのさみしさが訪れる年代ではあるけれど、そこに日記という分身があって、子育てをするようにもう一つの人格を育てていけば、それはきっと支えになってくれる。半年も書き続ければ、立派な分身になるはずです。その日記帳は、うすーく人と、社会とつながってくれるものだと、ぼくは信じています。
古賀さんの一言ひとことが、心の深いところに響いた。日記を「書かなくちゃ」という義務感が、「書きたい」という欲求に変わる。わたしもこれから、自分の分身を育てていこう。
「日々の生活に流され、学校に流され、仕事に流され、それだけで終わる生きかたがあってもいい。ただおじさんは、自分のことを知りたかった。そしてほんのすこしだけ、わかってきたような気がするのさ。これを書いてきたおかげでね。」(『さみしい夜にはペンを持て』より)
後編では、古賀さん直伝の日記の書き方・続け方の具体的なノウハウをお届けする。「ちょっとやってみようかな」と思ってくださった方は、ぜひ。
■古賀史健さんプロフィール
こが・ふみたけ/ライター。1973年福岡県生まれ。1998年、出版社勤務を経て独立。主な著書に『取材・執筆・推敲』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のほか、世界40以上の国と地域、言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、糸井重里氏の半生を綴った『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著)などがある。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。2015年、株式会社バトンズ設立。2021年、batons writing college(バトンズの学校)開校。編著書の累計は1600万部を数える。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?