人生100年時代。「老いのトップランナー」として健筆を奮い続けるのが樋口恵子さんだ。30代で最初の夫を亡くし、後に出会ったパートナーと生きる中で評論家の道へ。その夫も60代のときに見送り、80代で家を建て替えて、2度目の乳がん手術も乗り越えた樋口さん。今年7月には『老いの地平線 91歳 自信をもってボケてます』が刊行された。老いを感じながら、いかに生きていくか――。その暮らしを綴ったエッセイは痛快で、良き老いへのヒントが満載されている。今、樋口さんが見据える「老いの地平線」とは? オンラインでお話を伺った。
――これまで樋口さんは70代、80代と折々に元気の秘訣を発信されてきましたが、今回の著書はどのような思いでまとめられたのでしょう?
樋口:私はついこの5月初めに誕生日を迎え、91歳になりました。我ながら長生きで怖れかえっております。こんなに長生きするとは思っておりませんでしたし、いい歳をしてこれほど初体験に出合うとは夢にも思いませんでした。かつて60代、70代の頃に思っていた90歳と、実際になってみた90歳はまるで違うんですね。体の面であれ、人間関係であれ、想像していたのとはかなり違います。そういうことを誰も体系的に教えてくれないので、私は一つひとつぶつかっては自学自習。90代になっても、日々新たな発見があります。
人生100年時代といわれますが、75歳以上で後期高齢者といわれる生き方を経験するのは、私も含めて皆まだ「初代」なんです。だから、その初代が初めて出合った老いの生き方のとまどいや、もっと知りたかったことなどを今回の本にまとめたいと思いました。
――90代になってからの初体験として、この1年間でことに印象的だったのはどのようなことですか?
樋口:90歳からの日々は全部、初体験です。たとえば、何かにつまずかなくても、立っているだけで転ぶ。こんなに転びやすくなるとは思わなかったとかね。私はもともと不精なタチで、服を着たままごろ寝しちゃうことがよくあるのですが、それがますます高じています。なんで世の中の人は朝起きて着替え、夜寝るときも着替えるんだろうと、もう面倒くさくてたまらない。それは日一日とつのり、こぎれいな生活は失われ......(笑)。
私はわりあい最近になって乳がんが発見され、手術をいたしました。手術は成功したようですし、何とか大丈夫とお医者さんにも言われて、ホッとしております。とはいえ、別の病気あるいは老衰で、誰がいつあの世へ連れて行ってくれるのかと思うと、これまた心配しだすとキリがないんですね。これから長生きする方も覚悟してください。安心して長生きなんてできませんから。やはり老いを生きるというのは不安なもの。そして、その不安な状況に耐えて生きるのが老人というものです。あまり綺麗ごとは申しあげません。私は毎日そう言いきかせ、自分を励ましながら生きております。
――老いを生きることの不安を抱えながらも、ご自身を励ますために大切にされていることはありますか?
樋口:やっぱりこの歳まで生きられたことへの感謝です。だから私は今こうして皆さまにお問いかけしたり、お話ししたりできます。それができるのは平和のお陰なのですね。
私は小学6年生のとき、戦争が最も激しくなった昭和19年に集団疎開をいたしました。東京・目白の小学校から長野県平穏村という温泉街へ疎開し、親もとを離れて暮らしたのです。3度のお食事はいただきましたけれど、食べ盛り伸び盛りの6年生の胃袋を満たすものではなく、空腹と飢えとの紙一重くらいの体験でした。ですから我々世代の人は、どこか卑しいと思いますよ。私もいろんなところでご馳走になりますが、我ながらさもしいと思うのは、立派なご馳走が取り分けられて自分の前に出てくると、隣の人とどちらが多いかと目で追ってしまうこと。もはやたくさん食べられない身であるにもかかわらず、盛り付けが多いと、何となく満ち足りた気持ちになるのです。
上品に生きたいと思うのが私の願いですけれども、どうやらこの願いは叶わぬまま生涯を終わりそうでございます。でも、そういう体験があるから、お陰さまで91まで生き延びているのかもしれませんね。
――BOOKウォッチの読者には50歳前後の女性も多いのですが、樋口さんの人生において50代の頃はどのような時期でしたか?
樋口:私はもう100歳近いので、読者の方たちはだいたいその半分を生きたわけですよね。50代を振り返ると、私にとっては転身の時期でした。すでに評論家として自立しており、「高齢社会をよくする女性の会」の設立に携わったのは51歳のとき。女性問題や福祉に関する論文も書き始めておりまして、いずれは大学の先生になりたいと思っていたのです。幾つかの大学からオファーをいただくようになり、特に熱心にお声がけくださったのが東京家政大学でした。家政大には早くから家庭科の男女共修を推進する先生方がいらして、それは私の主張でもありました。そこで53歳のときに教授に就任し、70歳の定年まで勤めました。学生たちに私が思うところの家庭論とジェンダー論を教えることができて、本当に幸せな大学教授生活でございました。
――50代の女性たちは人生100年時代と言われる今、人生後半を迎えて大きな不安を抱えています。これから先の人生で、何を気持ちの核に持ち、どんなことを心がけていけばいいのか、アドバイスをいただけますでしょうか。
樋口:我々、年寄りを見てください。皆、50代をちゃんと通り越して過ぎてきましたから。そりゃ、良いばあさんもいれば、悪いばあさんもいると思いますけれど、良いばあさんが50代をどう過ごしたかということをいろいろ聞き集めていただきたいのです。やはり良いモデルがあるということはとても大事。できれば同じ時代を生きる先輩ですね。私が明治の婦人運動家である市川房枝さんや平塚らいてうさんにどんなに憧れようと、いくら何でもあの時代とは環境が違い過ぎます。もちろん尊敬に値する第一人者ではあるけれど、もうちょっとそばで良い先輩を見つけ、まとわりついて意見を聞いておくことです。
私はとても良い先輩に恵まれました。後から生まれた人は、先輩方が築いてきた道筋の余慶をどこかで受けているものです。私は15歳ほど年上で評論家の秋山ちえ子さんにとても良くしていただきました。かつて私が「夫婦別姓ですら通らないのは世界で日本だけですよ」と悔しがっていると、秋山先生は「思いは同じよ」と言いながら、「あなたはまだ若いから、そうやって悔しがるのよ」とおっしゃるの。そしてこう諭されたのです。「50年単位で歴史を見てごらんなさい。半世紀の単位で見れば、世の中は変わっているんです」と。それは皆が黙っていても変わらない。「いろんな人たちが言い続けていれば、国際的な動きとも相まって変わっていくのだから、あきらめちゃだめよ」と背を押されたのです。
――そんな思いで樋口さんは、50代からいっそう女性問題や福祉への思いを発信されてきたのですね。私たちも背を押されている気がします。
樋口:ちょっと先行く先輩に恵まれているのは、実にありがたいことですよ。自分のまわりに尊敬できる先輩がいたら、マネをしてみることも大事。そしてぜひ仲良くしてほしい。ばあさんの繰り言とは思わないで、いろんな話を聞いて、うまく利用してみてください。
樋口さんの最新刊『老いの地平線 91歳 自信をもってボケてます』(主婦の友社)は、7月31日発売。90代が安心して住める家の実例や「脳によい8つの習慣」など、樋口さんが90代の暮らしぶりを「実況中継」するほか、同居する娘さんとの丁々発止のやりとりなどは、これから90代を迎える親との向き合い方の参考にもなる。さらに、脳科学者の瀧靖之さん、社会学者の上野千鶴子さんとのスペシャル対談も収録されている。娘から母へ贈るのにもぴったりの一冊。
■樋口恵子さんプロフィール
ひぐち・けいこ/1932年生まれ、東京出身。東京大学文学部卒業。時事通信社、学習研究社などを経て評論活動に。東京家政大学名誉教授。NPO法人『高齢社会をよくする女性の会』理事長。『大介護時代を生きる』『老~い、どん!②どっこい生きてる90歳』『老いの福袋』など著書多数。
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