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なぜ母は無理心中を選んだのか。「遠い家族」の記憶が問いかけるものとは

遠い家族

 家庭という密室で起きる事件が後を絶たない。親が子を、子が親を殺める事件。夫と妻が傷つけ合う事件。痛ましいニュースが流れるたび、残された家族が気にかかる。真相が明かされる渦中で、世間からは好奇や嫌悪の目を向けられる。大切な人を失くし、家庭も崩壊した後の人生をいかに生きていくのかと。残された家族はさらなる苦悩に苛まれる日々が続くのだろう。

 そんな思いを抱きながら、手にしたノンフィクションがある。『遠い家族~母はなぜ無理心中を図ったのか~』(新潮社)。18歳の春、家庭内で起きた無理心中事件によって一人残された息子が、悲劇の真相と加害者である母への思いを綴った手記である。

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家で大変なことが起きている

 それが世に出るきっかけは2018年、筆者の前田勝さんは、ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に出演した。当時35歳だった彼には、ずっと胸に秘めていた疑問があった。母はなぜ無理心中事件を起こしたのか、なぜ僕を置いて死んでいったのか......。その真相を追い求め、母の知人や親戚をたどっていく。放映された番組は大きな反響を呼び、北米最大級のメディアコンクール「ニューヨーク・フェスティバル2019」のドキュメンタリー部門で入賞。そうした数奇な人生を自身の手で克明に綴ったのが本書だ。

 冒頭は「あの日」の回想から始まる。バスケ部の合宿先にいた筆者のもとへ、見知らぬ番号から電話があった。「いま家で大変なことが起きているからすぐに戻りなさい!」と。慌てて家へ向かうと、たくさんのパトカーと警察官の姿があり、促されるまま家の鍵を開けた。中に入ると、顔をガムテープでぐるぐる巻きにされ、首と足首をネクタイで縛られた義父が床に横たわっている。壁は血しぶきで染まり、傍には大きなハンマーがあった。さらに警察署へ連れて行かれ、棺に納められた母と対面する。母は義父を殺した後、自らもマンションの屋上から飛び降りたのだ。母は一通の手紙だけを残して逝き、18歳の息子は一人きりになったのである。

結局、母は義父を取った

 衝撃的な冒頭シーンで、ページをめくる手は重くなるが、それでも読み進むほどに引き込まれていく。「遠い家族」というタイトルの意味がとても気になっていたのだ。 場面は転じて、著者の幼少時代へさかのぼる。韓国人の母と台湾人の父をもち、韓国で生まれた。物心つく頃には両親が離婚。母と父の間を行き来し、親戚の家にも預けられて転々と移り住む。その後、母は日本へ出稼ぎに行ってしまい、父とともに台湾へ。行く先々の学校でいじめられながらも、笑顔で接しようとする子だった。

 毎日のように母に会いたいと思い、父母と暮らすことを願っていた小学生時代。中学に通い始めてまもなく、母が突然迎えに来て、日本で一緒に暮らすことになった。母と義父との生活が始まり、3人で囲む食卓に初めて「家族」を実感するが、幸せは長く続かない。浮気を重ねる義父と苛立つ母、夫婦の諍いが絶えず、義父は家を出ていった。泣き暮らす母の傍らで何もできず、バスケ部の仲間だけが心の支えだった高3の終わり。大学入学を目前にひかえたある夜、あの凄惨な事件が起きた。著者は棺の中に横たわる母の顔を見たときの心境をこう綴っている。

〈母と今まで過ごした日々が、急に頭に浮かび、涙が止まらない。母が死んだ。僕のことを愛していると言っていたのに、結局は義父を取った。一番愛している義父を殺し、自らも追いかけて死んでいった。
(中略)
 僕は泣きながら母が憎いと思った、僕はまたしても母に捨てられた。〉

 事件後、義父の親族に「私たちはこれからあなたを恨み続ける。あなたはこれから一生、人殺しの息子として生きていきなさい」といわれ、加害者遺族の苦悩も背負うことになる。母が残した遺書には「貴男は、今マデと同じ様な生き方をして行けば心配無いヨ。マジメに、いっしょうけんめいに頑張れば、世の中捨てたものではない」と。だが、一人残された著者には頼れるところもなく、大学を中退してバイトを転々とする。キャバクラ、芸人の養成所を経て、やがて俳優の道を目指す。舞台に立ち続けるなか、自らプロデュースしたのが母のことを題材にした芝居だった。

もう嘘をつきたくなかった

 著者は〈どんなに母のことを憎んでいても、母がいなければ生まれていない。生まれていなかったら、たくさんの仲間にも会えなかった。だから産んでくれたことに対しては「ありがとう」と言いたい。〉と思う。それまでは母のことを知られるのが怖く、仲間には適当に嘘をついてごまかしていたが、もう嘘をつきたくなかったという。 母の事件を描いた舞台が糸口になり、ドキュメンタリー番組への出演依頼が舞い込んだ。悩んだ末に著者は取材を受けることを決めた。もしかしたら、母のことをもっと知ることができるかもしれないと思ったからだ。

 母の携帯電話から知人をたどると、初めて知る素顔や義父との関係が見えてくる。生まれ故郷の韓国へ行き、連絡が途絶えていた実父を捜しに台湾も訪れた。叔母たちには若き日の母の思い出を聞き、実父の愛情にふれる。著者はそこで自身とも向き合うことになった。

〈なぜなら、僕も母のことを愛していることに気付いたからだ。気付いたというより、その気持ちは、本当はずっと胸の中にあったのに、いつからか、見ないようにしていた。母のことを愛していたのに、その事実から目を背けていた。そばにいて欲しかったのに、いつもいなくなる母。守って欲しかったのに、そばにいない母。〉

 日本、韓国、台湾と、時間も距離も遠く離ればなれになっていた家族。「遠い家族」の記憶をたどることで、著者はいかなる真相を知り、亡き母の過去に迫っていくのか。読み手も追体験するかのように、著者とともに心が揺れ動く。この手記の発端は重く沈鬱な事件だが、読み進むほどに引き込まれていくのは、亡き母を慕い求める筆者の切実な思いに胸を打たれるからだろう。その果てに、ようやくひとつに繋がっていく親子の物語。そこから前を向いて懸命に歩こうとする著者の姿に大きな希望を感じられるのだ。

 そして読み終えたとき、読み手もまた大事なことを問いかけられているような気がした。果たして自分はどれほど親が歩んできた日々を知っているのだろうかと。筆者も亡き後に初めて知り、だからこそ我が子に注いでくれた愛情の深さに気づかされたことがある。「ありがとう」の言葉をちゃんと伝えたかった、と悔やまれた。

 日々の生活に追われていると、近くにいる家族だから分かり合えていると過信したり、相手の言動に無関心になっていたり、互いに気付けない思いもある。そんな心の声にちゃんと耳を傾けているだろうか――。「遠い家族」というタイトルが気になっていたのは、ひそかな自責の念も重なったからかもしれない。


文・歌代幸子/ノンフィクションライター




 


  • 書名 遠い家族
  • サブタイトル母はなぜ無理心中を図ったのか
  • 監修・編集・著者名前田勝 著
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2023年3月29日
  • 定価1,650円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・192ページ
  • ISBN9784103549918

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