東京都駒込にある、世界最大級の東洋学研究図書館「東洋文庫」。併設の「東洋文庫ミュージアム」では、現在「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」展が開催されている(会期:2023年2月1日~5月14日)。フローラは植物誌、ファウナは動物誌のことで、動植物の知識が東洋・西洋の間でどのように交わされてきたかを知ることができる。
BOOKウォッチでは、東洋文庫のマンガ大好き学芸員・篠木由喜さんが、イチオシ作品の学芸員的読み方を紹介してくれる「マンガでひらく歴史の扉」を連載中。今回は「フローラとファウナ」展に関連して、チャノキ(茶の木)を求めて中国に潜入したイギリス人プラントハンターについて教えてもらった。
そもそも、プラントハンターという言葉をご存じだろうか。その名の通り、世界中を旅して植物を採集する人だ。実は、現代の日本でもプラントハンターが活躍している。
現代のプラントハンターが世界から集めてきた植物は、庭園づくりやイベントの装飾に活用されることが多い。植物といえばそういった観賞用のイメージが強いだろう。しかし、かつてはなんと植物が国際経済を動かした時代もあった。
秋月カイネさんのマンガ『Fの密命』(双葉社)は、19世紀のイギリスに実在した大物プラントハンター、ロバート・フォーチュンを主人公とした作品だ。
フォーチュンが求めに行ったのは、中国のお茶。19世紀半ばのイギリスでは、お茶が大流行していた。
篠木さん:イギリスの紅茶は、アフターヌーンティーのように優雅なイメージがありますが、フォーチュンが生きた時代、お茶は労働者にこそ切実に必要とされたものでした。当時イギリスでは、赤痢やコレラなど水を媒介とする病気の心配があったため、労働者は生水ではなくエールなどのアルコールを飲んでいました。でも、アルコールって水分補給にならないのは現代では常識だし、アルコールを飲んで肉体労働なんてできないですよね。その点お茶は、水を沸騰させて使うので病気の心配が少なくなるし、カフェインで頭もスッキリするし、空腹も紛らわせられる。
でも、お茶はまだまだ高級品でした。中国は決してチャノキ(茶の木)を外に持ち出させず、茶葉の製造方法も漏らそうとしなかったので、他の国は中国で加工されたものを高値で買わなくてはならなかったのです。イギリスは、インドなど当時の領土内でお茶を作り、もっと普及させたいと考えました。そこでプラントハンターの出番です。
この物語は、フォーチュンと同じ貴族のもとで働く仲間が貧困により体調を崩して亡くなり、フォーチュンがこの貧困をどうにかしなくてはならない!と決意するところからはじまります。誠実に仕事をしていたフォーチュンは、東インド会社に才能を見出され、中国からチャノキと製造方法を持ち出してくるという密命を受け、中国へ出発します。
フォーチュンが1843年に中国へ渡るその直前には、イギリス対中国のアヘン戦争(1840~42年)があった。茶を大量に輸入していたイギリスが、収支のバランスをとるために麻薬であるアヘンを中国に輸出し、中国がアヘンを取り締まろうとして起こったこの戦争は、まさに「植物が起こした戦争」とも言える。そんな中国へチャノキを取りに行くのは、命がけの仕事だった。
篠木さん:中国は、当時はまだ開港地といって、決められた場所しか外国人に開かれておらず、奥地に行くことは許されていませんでした。でも、奥地に行かないとチャノキを採ってこられない。そこで、フォーチュンはスパイになるんです。
フォーチュンは髪を辮髪(べんぱつ・前頭部の髪を剃り、後頭部の髪を三つ編みにして後ろに垂らす髪型)にして中国人を装い、奥地へと潜入した。でも、顔立ちで外国人だとバレなかったのだろうか?
篠木さん:『Fの密命』にも描かれていたのですが、当時清はとても領土が広くて、今のようなメディアもないので、遠くに住んでいる自国人がどんな顔をしているのかわからなかったんですよ。だから、辮髪をしているなら清の皇帝に忠誠を誓ったということだから、中国人なのかな? と思わせることができたそうです。おもしろいですよね(笑)
「フローラとファウナ」展では、フォーチュンが書いた中国旅行記も展示されている。フォーチュンが見た中国人はどんな姿だったのだろうか。
さらに、なんと現在の「テラリウム」を初めて本格的に使ったのもフォーチュンだったそう。当時は「ウォードの箱」と呼ばれ、1829年頃に発明されたばかりの最新技術だった。
「ウォードの箱」は、密閉した透明なガラス容器の中で植物を育てるもの。容器の中で水分が循環するので、水やりや手入れの必要がない。この発明で、それまで長旅や船旅だと枯れてしまっていた植物の輸送が、飛躍的に簡単になった。
篠木さん:苗木の状態でなくても、種を植えていてもちゃんと発芽してくれるんです。それを利用して、中国のチャノキの種をたくさん採ってきて「ウォードの箱」の中に植え、発芽させつつインドに送っていました。そのおかげで、今のダージリンやアッサムなど、インド産のおいしい紅茶が生まれたんです。
マンガを読んでさらに詳しく知りたくなった人には、サラ・ローズさん著『紅茶スパイ 英国人プラントハンター中国をゆく』(原書房)がおすすめだ。
篠木さん:このノンフィクションには、『Fの密命』で取り上げられているエピソードがより深掘りして書かれています。
たとえば、マンガを読んでいて、輸入される緑茶の葉がプルシャンブルーという顔料で着色されていたという話が出てきました。その事実を暴いたのがフォーチュンだったんです。「本当に!?」と思って『紅茶スパイ』を読むと、ちゃんと書いてあって「本当なんだなあ......」と。輸送中に状態が悪くなる場合が多かったんですが、新鮮に見えるほうがよく売れるから色鮮やかに着色したんですね。
マンガは2巻完結なので、マンガを読んで「もっと知りたい」「これって本当なの?」と思った方は、ぜひ『紅茶スパイ』を読んでみてください。
篠木さんは、『Fの密命』と『紅茶スパイ』で描かれるフォーチュンのエピソードから、今回の展示のヒントを得たのだそうだ。
篠木さん:植物がこんなに世界を動かしてきたんだということを知っているのと知らないのとでは、書きぶりが全然違ったと思います。今回、私はイギリスへ取材に行って、ガーデンについてのコラムを書いたんですが、当初は造園の様式についてまとめるつもりだったんです。でもプラントハンターのことを知ると、これに触れないわけにはいかないなと。
ガーデンは、今では人々の憩いの場となっていますが、当時は研究の場でした。プラントハンターが採ってきた植物が、有用なのか、売れるのか、どの地域に適しているのかなどを調べていたんです。ロンドンにある世界で最も有名な植物園、王立「キュー・ガーデン」は、まさに植物研究の一番の拠点でした。今回はキュー・ガーデンを中心に、植物研究の切り口からガーデンのコラムを書いています。
篠木さんのコラムは、実際にキュー・ガーデンで撮ってきた写真とともに「フローラとファウナ」展の中で掲示されている。
篠木さん:植物って"資源"なんですよね。たとえばドイツの飢饉を南米から採ってきたジャガイモが救ったり、トウモロコシが広まって家畜のエサが増えて生産力が上がったり。植物が人間社会の中心にいた時代があったんだなと、プラントハンターの話を読んでいると思います。
「フローラとファウナ」展を見ると、道端の植物も、今までとは少し違って見えてくるかもしれない。
『日本植物誌』『日本動物誌』を書いたシーボルトの来日200年を記念したこの展覧会には、目を見張るような美しい動植物誌の数々が展示されている。動植物研究の歴史を感じつつ、自然を丹念に描いた絵に癒されに行ってみては。
「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」
【会期】2023年2月1日(水)~5月14日
2023年は、長崎のオランダ商館につとめたドイツ人医師シーボルトの来日から200年の節目となります。 博物学者であったシーボルトは、日本で収集した動植物の標本や書物などをオランダへ持ち帰り、日本研究の集大成ともいえる大著をまとめ、 日本の歴史、文化、そして自然を広く紹介したことで知られています。
本展では、シーボルトの代表的な著作をはじめ、東洋文庫が誇る美しい動植物の図鑑・図譜のコレクションをとおして、 日本と西洋それぞれの自然に関する学問の発展、知の東西交流の足跡をたどります。
〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。 2023年2月1日(水)~5月14日(日)の間は、企画展「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」を開催中!
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