谷川俊太郎さんが詩を書き始めたきっかけをご存じだろうか。今では日本を代表する詩人の俊太郎さんだが、実は最初から詩人を目指していたわけではないのだ。
『人生相談 谷川俊太郎対談集』(朝日新聞出版)におさめられている、父であり哲学者の谷川徹三さんとの1961年の対談で、俊太郎さんが詩を書き始めたいきさつが語られている。
本格的に詩を始める前に、文学好きの友達にすすめられて少し詩を書いていたという俊太郎さん。そのうち大学の試験勉強をし始める時期になって、「螢雪時代」などの受験雑誌を読まざるをえなくなった。勉強のやる気が出ないので別のところをめくっていると、後ろのほうに投稿欄があって、下手な詩が並んでいる。俊太郎さんは「これなら書けるんじゃないか」と思い、最初は賞品や賞金をもらってやろうという目的で書き始めたそうなのだ。
俊太郎さんが投稿してみると、一席や二席に入った。本人が自覚していなかっただけで、詩の才能ははじめからあったというわけだ。それで「調子にのって」書いて投稿しているうちに、だんだん詩で何を書きたいのかがわかってきたという。
さらに面白いのはそのあとだ。勉強、特に数学が好きでなく、大学へも行く気がなかった俊太郎さん。とりあえず形式的に受験をして落ちたあと、「どうにかして大学へ行かないですませよう」と思って、父・徹三さんに詩のノートを見せて「自分はこういうものを書いている」と伝えたのだそうだ。つまり、大学へ行かない理由として詩を利用したということだ。
徹三さんは俊太郎さんの詩を読んで、ひいき目なしに見ても「これは悪くない」と思ったそう。そこで徹三さんは俊太郎さんの詩を、知人の詩人・三好達治さんに見せた。三好さんは俊太郎さんの詩に感心し、三好さんの紹介で文芸誌「文學界」に俊太郎さんの詩が載った。それから詩集を出すようになり、現在の詩人・谷川俊太郎に至る。
それでも徹三さんは、「少しくらい遅れてもいいから、大学くらいは出ておけと言ったのだけど......(笑)」と苦笑している。結局うやむやになって大学へ行かずにすんだ俊太郎さん。もとから才能に恵まれていたとはいえ、今では国語の教科書にも載っている俊太郎さんの詩が、「大学へ行かないための言い訳」から生まれたとは驚きだ。
『人生相談 谷川俊太郎対談集』には、父・徹三さんとの対談のほか、英文学者の外山滋比古さん、詩人の鮎川信夫さん、俊太郎さんの息子で作曲家・ピアニストの谷川賢作さんなどとの、貴重な対談記事がおさめられている。
賢作 小さい頃よく、おじいちゃんに両手に抱かれてほっぺたをすりすりされたことを憶えているけど、友だちの前でもやるから恥ずかしかったよ。
俊太郎 俺も徹三さんにはすりすりされたけれど、物心ついた頃からずっと「反面教師」として父親を捉えてきたね。ああいうふうになりたくないって。
(谷川賢作×谷川俊太郎「いま、家族の肖像を」より)
谷川俊太郎さんの詩や絵本などは読んだことがあっても、息子としての俊太郎さん、父としての俊太郎さんをよく知っている人は少ないのではないだろうか。本書に収録されている対談は、谷川俊太郎さんの人物像をいきいきと教えてくれる。
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