40歳を過ぎても、「おばさん」と呼ばれるといい気持ちはしない。「中年の女性」という意味ではもちろん、甥や姪に呼ばれるのも抵抗があるという女性も少なくないだろう。子どものころは友だちの母親を「おばちゃん」と呼んでいたのに、いつのころからか「〇〇ちゃんママ」がスタンダードになった。「かっこいいおじさん」はいるのに、「美しいおばさん」にはどこか矛盾を感じる――。
文筆家・岡田育さんの『我は、おばさん』(集英社)は、そんな「おばさん」問題をカルチャーの視点から考察するエッセイだ。『更級日記』から『ポーの一族』、『セックス・アンド・ザ・シティ』まで、様々な映画や文学、マンガ、テレビ番組を紐解き、「おばさん」が果たしてきた役割と、忌み嫌われるようになった原因を追究し、さらには現代の「おばさん」像を再定義する。
辞書によると、「おばさん」には「中年の女性」と「父母の姉妹」という2つの意味がある。一般的な言葉だが、いまや「呼ばれたくない」蔑称となり果てている。
子どもを持たない(甥姪はいる)岡田さんは、「さしたる理由はないけれど」、40歳あたりを境に「おばさん」と名乗ることにしたという。自称する必要ある?という疑問はさておき、40過ぎて「オトナ女子」もそぐわないし...とは常々感じていたので、「後がつかえているから、いつまでも永遠に乙女の気分ではいられない」という考え方にはうなずける。
本書では、「おばさん」を次のように定義している。
女として女のまま、みずからの加齢を引き受けた者。護られる側から護る側へ、与えられる側から与える側へと、一歩階段を上がった者。世代を超えて縦方向へ脈々と受け継がれるシスターフッド(女性同士の連帯)の中間地点に位置して、悪しき過去を断ち切り、次世代へ未来を紡ぐ力を授ける者である。
この通りであるなら、カッコよくて頼もしく、憧れられてしかるべき存在だ。ではなぜ、「おばさん」という言葉にネガティブなニュアンスを感じるようになったのか。
岡田さんは、『こち亀』や『孤独のグルメ』、『おっさんずラブ』など中年男性が主人公の作品は数多くあり、「おじさん」なら冴えなくても愛されるのに、「おばさん」になると失笑を買うだけで物語が成立しないと指摘する。「こうした男女の不均衡が、『女は若ければ若いほどよい』『女性の価値は加齢とともに下がる』といった社会通念にもとづいていることに、議論の余地はないだろう」。
今まで男性を中心とする社会は、女性の加齢を肯定的に捉えて正当に評価することを、ほとんどしてこなかった。そのツケを、「おばさん」という言葉が払わされているのだ。
しかし、「責めを負うべきは男性ばかりとは限らない」と岡田さんは言う。女性もまた、自らの加齢を否定的に捉え、自虐的に嘲笑することで「おばさん」という言葉にネガティブなイメージを与えている。若い女の子が「かわいいおばあちゃんになりたい」と言うのも、「花咲く乙女」を名乗れなくなったら、「おばさん」の過程を経ることなく、一足飛びに「かわいい老女」になりたい、という願望にほかならない。多くの女性が、一度はそう願った経験があるのではないだろうか。
今生で与えられた時間のうち、少女と老婆の間に横たわる長い長い期間の途上を生きながら我々は、それをあるべき言葉で自称することすらしない。我は、おばさん。なぜ胸を張ってそう名乗ることができないのだろうか。
(中略)
我々はまず、我々自身を強く肯定するところから始めなければならない。どんな言い換え表現でもなく、ただ「おばさん」として。
本書は以下の5部構成で、古今東西の様々な例を提示しながら、一貫して「おばさん」の地位向上を訴えている。そして、巻末にはジェーン・スーさんとの特別対談が収録されている。
第一部 未来を向いて生きる中年
おばさんは、どこへ消えた?/贈り物が結ぶ斜めの関係
第二部 母とは異なる価値観の提示
自由を生きる非・お母さん/遠くから届く身勝手な愛/よその子と川の字に横たわる
第三部 少女でもなく、老婆でもなく
世界の窓はテレビの中に/かわいいおばあちゃんになりたい?/男と女と男おばさん
第四部 社会の中に居場所を作る
新しい共同体は姥捨て山の向こうに/働くこと、教えること、自由になること
第五部 おばさんになる方法
誰がおばさんを作るのか?/世界の片隅でアメちゃんを配る
印象に残ったのは、岡田さんが子どものころ、ジャーナリストの兼高かおるさん(故人)を「おじさん」と勘違いしていたというエピソードだ。『兼高かおる世界の旅』という紀行番組で、リポーターのほかにディレクター、コーディネーター、時にはカメラマンまで八面六臂の活躍を見せた兼高さんを、「女であるはずがない」と思い込んでいたという。
見た目は優美だけれどスカートの下はたくましい男性なんじゃないか。だからどんな危険な外国へも単身ひょいひょいと飛んで行き、各国の要人と流暢な英語で楽しくおしゃべりをしてくることだってできるのだ......。
作家のヤマザキマリさんは、そんな兼高さんへの憧れが、海外を渡り歩くきっかけになったという。「どこへでも単独で出かけていき、誰とでも対等に交流する」兼高さんは、後に続く「姪」たちに、世界の広さと女性の可能性を見せてくれた「おばさん」だったのだ。
巻末の対談でジェーン・スーさんが、「エッセイとかコラムだと思って読み始めたら、『え?論文!?』って爆笑した」と語った通り、本書は内容の濃さ、ボリュームともにエッセイの枠に収まらない。膨大な資料を読み解き、「おばさん」という一つの言葉をここまで掘り下げた本は、ほかにないだろう。
多くの女性が抱えてきたモヤモヤを、これでもかというほど明確に言語化してくれる本書は、どこから読んでもスカッとすること請け合いだ。40~50代にとって懐かしい作品や人物がたくさん登場するので、カルチャー史としても楽しめる。不朽の名作も「おばさん」という軸で見直せば、「そうだったのか!」の連続だ。
――おばさんというものに対してあまり真剣に考えたことがなかった人も、さすがにこれほど例を出されたら、自分とのぼんやりとした共通項や、託されている役割とかに気づくはずだから、おばさんと自分の正しい距離の取り方、客観的な目線みたいなものは、これでわかるようになる気がします。(ジェーン・スーさん)
「おばさん」を謳歌する2人の対談を読めば、そう呼ばれるのも案外悪くないかも、と思えてくる。これからは、「悪しき過去を断ち切り、次世代へ未来を紡ぐ力を授ける者」として、我々の「姪っ子」たちが40~50代になるころには、胸を張って「我は、おばさん」と言える世の中を目指したい。
■岡田育さんプロフィール
1980年東京都生まれ。編集者を経て、2012年より本格的にエッセイ・コラムの執筆を始める。テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍。著書に『ハジの多い人生』(文春文庫)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)、『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)、『女の節目は両A面』(TAC出版)など。2015年よりニューヨーク在住。
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