世に宮沢賢治ファンを自認する人は多いだろう。2018年1月、二つの文学賞があらためて宮沢賢治の存在感の大きさを印象づけた。門井慶喜さんが賢治の父、政次郎をモデルにした『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞、同時に若竹千佐子さんが賢治の詩「永訣の朝」の一節からタイトルをつけた『おらおらでひとりいぐも』で第158回芥川賞を受賞した。死後80年以上経つのに、これほど影響力のある文学者はいるだろうか?
本書『宮沢賢治はなぜ教科書に掲載され続けるのか』(大修館書店)は、賢治作品や伝記などの言説からいかにして宮沢賢治のイメージが形成され、受容されていったのかを探ったものである。賢治ブームに一石を投じる本になるかもしれない。
著者の構大樹さんは1986年生まれ。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科修了。現在は清泉女学院中学高等学校教諭。本書は博士論文(教育学)をもとに書籍化したもので、論点の構成、引用も精緻だ。
冒頭、賢治の名前は知らなくても「雨ニモマケズ」の作者であると言えば、ピンとくる人が多いだろうと書いている。賢治の影響は文学作品だけではない。2016年に公開された映画『シン・ゴジラ』には詩集『春と修羅』が出てくるし、漫画やアニメなどポップカルチャーにもしばしば登場する。関連書籍も毎年平均して20冊前後が出版されている。この使い勝っての良さ、受容のされ方はいったい何なのか? なかば定式化された「雨ニモマケズ」の宮沢賢治というイメージの確立を学校教育の場に注目して迫っていく。
有名な「雨ニモマケズ」は、賢治の没後に手帳から発見された。亡くなって1年後の1934年9月21日の「岩手日報」夕刊で「遺作(最後のノートから)の表題で初めて活字化されたという。そして1942年以降刊行されたアンソロジー詩集から採録されるようになったことを構さんは明らかにした。賢治を肯定的に評価する機運は、42年に大政翼賛会文化部が編纂した『詩歌翼賛』第二輯に「雨ニモマケズ」が再録されたことで高まった、と指摘している。
総動員体制の理念にふさわしいことが理由だった。「欲ハナク」「ジブンヲカンジョウニイレズニ」といった文言が、「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンを想起させた。
本書において構さんは賢治作品が「昭和二十一年の暫定教科書『初等科国語 四』以前に収録された形跡はない」という定説を覆す発見をした。満州開拓青年義勇隊訓練本部編『国語下の巻』(冨山房、1943年)に「雨ニモマケズ」が掲載されていることを明らかにした。日本国内の公的な中等教育課程に沿って作られた準公的な教科書だとしている。
「皇民」の「精神」と「農民タルノ教養信念」の両方を、義勇隊訓練生に内面化させるのに適切な教材だと見なされたのだ。
戦前、戦中に総動員体制に利用された賢治作品だが、戦後も賢治作品は教科書へ次々と採用されていった。まず、「どんぐりと山猫」。裁判の場面が民主的であるという観点から採用された、と推測する。また「やまなし」は、1971年度に『小学新国語 六年上』(光村図書出版)に採用されてから今日まで、定番作品の地位を得ているという。「同時代的な公害問題への注目と能力主義的な教育観の登場を背景に、教材としての価値が生じた作品だった」と説明している。
「やまなし」は「扱いにくい文学教材アンケート」(1983年)で小学校高学年部門のトップだ。それなのになぜ教師の支持を集めたのか。構さんは向山洋一氏による「教育技術の法則化運動」の影響を挙げている。「やまなし」を授業できることは、「プロとして黒帯の腕がある」という同氏の発言もあり、この難教材をどう教えるか教師が力量を競うようになったのだ。こうして定番教材になった。
また、「自然の中で生きる」ことを問うエコロジー的な文脈でまとめられる賢治作品の教材化も進んだ。1973年から『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房、~77年)の刊行が始まり、賢治にまつわるさまざまな情報の開示が進んだ。その結果がエコロジーとの結びつきだった。
こうしたことへの批判もあった。詩人の荒川洋治さんもそのひとり。賢治論は「ばかに多い 腐るほど多い」(「美代子、石を投げなさい」、『坑夫トッチルは電気をつけた』所収、新潮社、1994年)と揶揄して話題になった。
そして、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに「雨ニモマケズ」がふたたび語られるようになり、賢治作品ブームが訪れたと指摘している。
国語教育とつながっている限り、どこかで公式的な<宮沢賢治>が求められるという。構さんが賢治の作品ではなく受容のされ方に関心を持ったのは、学生時代に全国宮沢賢治学生大会に参加した際、参加者の多くが「賢治さん」と呼んでいることへの違和感が始まりだった、と「あとがき」に書いている。構さんは宮沢賢治研究会にも所属しているようだが、関係者が本書を読み、どう反応するか知りたいところだ。
ちなみにBOOKウォッチでは、『銀河鉄道の父』、『おらおらでひとりいぐも』両作品を紹介済みだ。
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