本書『悪の脳科学』(集英社新書)は、テレビでもおなじみの脳科学者の中野信子さんの最新刊。藤子不二雄Aさんのマンガ『笑ゥせぇるすまん』の主人公、喪黒福造に学ぶ「人のココロの操り方」と表紙にあり、中野さんが喪黒に扮したビジュアルで登場している。
最初から最後まで、『笑ゥせぇるすまん』とコラボした内容になっている。喪黒の「誘惑の悪魔」としての手口を脳科学の見地から解説している。しかし、学者が喪黒の手口を科学的に解説すると、悪のマニュアルになってしまいかねないという倫理的な問題がある。そこで、「人間がどれほど弱くて騙されやすいかを知っていただければ」と前書きで予防線を張っている。
喪黒は「♥ココロのスキマ...お埋めします」と記した名刺を持って登場する。心という機能を生み出す脳は不完全な臓器で、環境や情報によって大きく変化する。中野さんは「ココロのスキマ」が存在することそのものが、「心」の要件なのだ、と説明する。だから、喪黒の名刺は人の心に突き刺さるという。
ここから、『笑ゥせぇるすまん』のマンガを引用し、次々に解説していく。たとえば、「長距離通勤」では、片道4時間もかけて通勤している男性に、会社から歩いていけるマンションを提供。しかも身の回りの世話をする美しい女性までいる。しかし、週末は必ず家に帰ることが条件だった。ある日、その約束を破ってしまうと......。
中野さんは、人間の誰もが約束を守れない脳を持っていると説明する。意志の力・理性は大脳新皮質である前頭前野の働きであり、いっぽう情動は旧皮質の働きで、性欲・食欲などの本能、生命を維持するための根本的な領域だ。生物として後者を優先するのが当然だ。喪黒の条件は、一見簡単そうに見えるが、「守るのが困難」な約束であり、それがこのマンガの基本にあるという。
さらに「やってはいけない」と禁じられると逆に気になってしまう人間の心理の説明として、アメリカの心理学者ダニエル・ウェグナーが1987年に発表した「皮肉過程理論」を紹介。人間の思考には「実行過程」と「監視過程」があり、監視過程が記憶にかえって強く働きかけて、約束や禁則をいつか破ってしまうと説明している。
喪黒はターゲットの心理をコントロールする手段として、コールド・リーディングの手法を使っているという。初対面なのに相手の属性を言い当て、接近するのだ。中野さんは「人間は誰でも服装や身体的特徴などから、自分に関する多くの情報を知らず知らずのうちにたれ流している」と指摘する。
また喪黒の不気味な要望も「ゲイン効果」を上げているという。営業職で優秀な成績を上げている人は意外にも美男美女に限らない例で説明している。
その他にも「返報性の原理」「新奇探索性」「我慢の総量」理論などをマンガに即して解説している。ちなみに、騙されにくい人は、メタ認知能力が高い人、つまり自分自身を客観的に見ることが出来る人だそうだ。そして、「人間とは、そもそも騙されやすい生きものだ」ということを理解しているとも。
巻末では、中野さんがマンガの作者、藤子不二雄Aさんと対談している。中野さんは、『笑ゥせぇるすまん』シリーズには、「レンタル彼女」や「主婦タレント」など、その後の現実を先取りする作品が多いと驚いている。時代を先取りするのは、鋭い人間観察眼によるものでは、と藤子さんに問いかけている。
藤子さんは、仕事場の新宿まで今も小田急線の電車で通勤し、車中で一人ひとりを観察し、どんな仕事や生活なのだろうかと想像しているという。その中からアイデアが生まれたのかもしれない。
またマンガは下書きをせず、ぶっつけ本番で描いていたそうだ。頭を使わず即興で描いているので、ものすごく体力を消耗する。いまはもうやる体力がないという。
『笑ゥせぇるすまん』の原型で、読み切りの「黒ィせぇるすまん」が青年誌「ビッグコミック」(小学館)に登場したのが、1968年というから半世紀前だ。少しも古びないのは、藤子さんの人間観察眼の鋭さゆえだろう。
BOOKウォッチでは、中野さんの『不倫』(文春新書)を紹介済みだ。
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