映画「彼らが本気で編むときは、」や「かもめ食堂」の監督を務めた荻上直子さんの小説『川っぺりムコリッタ』(講談社)は、思わず口にしたくなるタイトルが印象的だ。
「ムコリッタ(牟呼栗多)」とは、本書の説明によると「仏典に記載の時間の単位のひとつ。1/30日=2880秒=48分。「刹那」は、その最小単位」のこと。
本書は、川辺にある古びた二階建て木造アパート「ハイツムコリッタ」を舞台に、前科者の僕が住民たちとの関わりをとおして、家族、友達、人生、命を見つめ直す物語。
僕が四歳のときに両親が離婚し、母親に引き取られた。父親の記憶はほとんどない。高校二年のとき、母親から「お前とはもうこれで終わりだよ」と冷たく言い放たれ、捨てられた。それからは他人の家に居候、万引き、建設現場で働くなどしていたが、二十代後半にオレオレ詐欺の受け子として捕まる。二年間の刑期を終え、半年前に出所。北陸地方にある前科者も受け入れるイカの塩辛を作る工場で働くことになる。
「出所したら川べりに住みたいと思った。...台風のたびに氾濫するような川がいい。...常におびやかされながら、ギリギリを味わっていたい。いてもいなくても同じ僕の存在。死を間近に感じていた方が、生きている実感が湧くかもしれない」
僕はひとまず望みどおりの環境に身を置くことができたわけだが、あるとき役所から一本の電話が入る。「父親かもしれない男」が孤独死したため、火葬し、遺骨を保管しているというのだ。
幼い頃に別れたきり一度も会っていない父親の遺骨を引き取る義理などないと思ったが、「父親がどんな人だったとしても、いなかったことにしちゃダメだ」という隣人の言葉もあり、僕は遺骨を引き取ることを決める。
「ハイツムコリッタ」には、図々しい隣人の島田、墓石を売り歩く溝口親子、シングルマザーの大家の南など、訳ありな人々が暮らしている。「こんなにも世の中から落第してしまったような」彼らは、互いに関わり、寄り添い、自分と他人の間に境界線を引かない人々だった。「誰とも関わらず、自分だけでいい。つつましく、目立たず、ひっそりと過ごしたい」という僕のひそかな願望は、いい意味で叶うことはない。
住民たちのあたたかさに触れ、僕は人間の感情を取り戻していく。とりわけ、最初は何の情も湧かなかった父親に対し、徐々に思いを馳せ、生前の暮らしぶりを想像し、父親の生き方と自身の生き方を重ね合わるところが胸を打つ。
「誰しもが毎日のちょっとした出来事に泣いたり笑ったりしているのではないだろうか。だとしたら、父親が今も生きていたとして、この先もろくなことはなかったとは言い切れないじゃないか。そして、この僕のこれからだって」
やがて、僕の意識は「ムコリッタ=生まれて消える時間の流れ」に向けられる。一人単位でデジタルなものに時間を大量消費する時代に、人間の関わりや時間の尊さという基本を、本書は思い出させてくれる。
荻上直子さんは、1972年千葉県生まれ。映画監督・脚本家。千葉大学工学部画像工学科卒業。94年に渡米し、南カリフォルニア大学大学院映画学科で映画製作を学び、2000年に帰国。04年に劇場デビュー作「バーバー吉野」でベルリン国際映画祭児童映画部門特別賞、17年に「彼らが本気で編むときは、」で日本初のベルリン国際映画祭テディ審査員特別賞など、受賞多数。
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