日本は水害に弱い。さらなる対策と備えが必要だ――本書『水害列島』(文春新書)が警告していた通りのことが2019年秋に起きてしまった。台風15号、19号、21号が波状的に襲来し、東日本各地で河川の決壊や土砂崩れが頻発、多数の人が亡くなった。住宅被害も膨大なものになっている。なぜ警告は生かされないのか。被害を少なくする手だてはなかったのか。
台風19号の死者・行方不明者は95人、21号では13人(朝日新聞社調べ)。合わせると100人を超える。この数字には重要な意味がある。
本書によると、一時期の水害による死者・行方不明者は1982年の長崎大水害を最後に100人未満が続いていた。ところが2018年の西日本豪雨で232人と、久しぶりに100人を突破、今年は二つの台風によって2年連続で三桁になってしまった。14年の集中豪雨でも83人の犠牲者が出ている。治水対策が進んでいるはずなのに犠牲者が増えているのだ。日本列島はまさに「大水害」の時代を迎えつつある。
原因の一つに地球温暖化があるらしい。海水の温度が上昇し、温かくなった空気はより多くの水蒸気を含む。「飽和水蒸気量」が増えることで、降る雨の量も増加し豪雨の規模も大きくなっている。つまり、今回のような大雨は今後も襲来する可能性が強いらしい。
本書の著者、土屋信行さんは工学博士。1975年に東京都庁に入り、道路、橋梁、まちづくり、河川事業に従事。環状7、8号線の設計建設、下水処理場・ポンプ場の設計建設、土地区画整理事業、秋葉原および汐留再開発など多数の案件に関わってきた。2008年には江戸川区土木部長として、海抜ゼロメートル世界都市サミットを開催するなど、幅広く災害対策にも取り組むエキスパートだ。現在は公益財団法人リバーフロント研究所技術参与など多数の肩書がある。すでに著書『首都水没』(文春新書)も出している。
本書は「なぜ大水害は起こるのか」「西日本豪雨の教訓」「ゼロメートル地帯江戸川区のハザードマップ作り」「先人の知恵に学ぶ」など10章に分けて、大水害の危険と対策を詳述している。その中で「やっぱり、そうだったのか」と思ったのは、「雨が降り出し危険になってから発令される避難情報!」という指摘だ。
河川氾濫の「注意報」「警戒警報」などは、「河川水位」を基準に発令される。つまり、「避難準備・高齢者等避難開始」「避難勧告」は雨が降り始めてから発令される。「避難指示(緊急)」に至って、発令基準が「河川の決壊や越水・溢水が発生した場合」などとされている。激しい雨が降り、水があふれている中での発令になりかねない。
土屋さんは、「避難行動自体が危険な状態になってから『逃げろ!!』と言っているのです。これでは遅すぎるとは思いませんか?」と疑問を投げかける。この発令基準には、情報を受け取る住民が、「『命を犠牲』にすることなく、逃げ切れるという視点が欠けているのではないでしょうか」と手厳しい。
加えて、一部の自治体サイドでは「避難率の向上」が課題になっているらしい。つまり、警告した結果、避難した住民が多ければ避難率が向上したことになる。そのためには、危険が差し迫るまで待って住民の命を危険状態にさらした上で避難行動を促した方が避難率が上がる。いわば、「住民の命と引き換え」に、行政内部の目標である「避難率の向上」としての成果達成を目指す、という本末転倒の方針が広がっているのだという。本当にそんなことが起きているのかと首を傾げたくなるが、専門家の指摘だからそうなのだろう。
台風19号では3割、21号では5割の犠牲者が「車で移動中」だったと日経新聞や産経新聞に出ていた。あの大雨の中で避難しようとした人たちがほとんどだろう。「命を守る行動をしてください」という呼びかけが、かえって命を縮めたかもしれないと思う。
土屋さんは何度も豪雨の中で仕事をしたことがあるそうだ。雨合羽など何の役にも立たないという。すぐに全身びしょぬれになり、5~10分で悪寒が始まって、体温を奪われる。滝に打たれているような状況なので、同行者との会話もできないという。豪雨の中での避難は、それほど危険ということだ。
マスコミは自らが「命を守る行動」を呼びかけていたせいか、このあたりのことについては余り報道されていない感じがする。すでに専門家にここまで指摘されている以上は、改めて検証する必要があるのではないだろうか。
本書では多数のリスクや対策に論及されているが、その一つ、「ゼロメートル地帯江戸川区のハザードマップ(以下マップ)作り」について紹介したい。08年作成のマップには土屋さん自身が関わっているから極めて詳しい。「事前避難」はもちろん、隣接の千葉県市川市にまで避難地を求めた「広域避難」、逃げない「籠城避難」などを明確に定めた日本初のマップだという。
江戸川区は70%が海抜ゼロメートル地帯。一番高い所が小岩駅付近で標高1.6メートル。区役所はマイナス約1.7メートル。避難しなければならない住民は約68万人。地域に洪水を起こす可能性がある川が江戸川、荒川など5本もある。
避難所として106校の小中学校が指定されていたが、再調査すると、洪水発生時に一階が水没するのが80校もあり、5万人ほどしか収容できないことがわかった。
ここからがすごいのだが、区内の3階建て以上の建物1万400棟を調査。水没しないと思われる4階建て以上の5800棟に受入れ協力を求める。こうして民間の建物で15万人の収容を可能にした。さらに市川市に協力を求め、20万人の受け入れなど。
19年5月には11年ぶりにそのマップを改訂し、全世帯に配布した。区内のほぼ全域が浸水するという最悪な想定。「ここにいてはダメです」というキャッチコピーはネットでも大きな反響を呼んだ。J-CASTニュースでも「避難勧告40万人超で『江戸川区』トレンド入り 台風19号接近」と報じたが、ここに至るまでの行政や関係者の途方もない苦労を本書で再認識することができる。
第6章では「首都直下地震により発生する『地震洪水』」についても詳しく記している。阪神淡路大震災や東日本大震災では、あちこちで堤防が決壊した。東京の下町などのゼロメートル地帯は、堤防によって守られているので、壊れたら大変なことになる。
南関東でマグニチュード7程度の地震が今後30年以内に発生する確率は70%。東京都は18年に「東京都高潮浸水想定区域図」を公表、最大規模の高潮が襲来すると、最大水深が10メートルに達し、23区内の17区が浸水するという。
一般に地震では津波が想定されているが、地震による堤防破壊で、好天の日でも洪水が起きうるという。阪神・淡路大震災では淀川の堤防が連続2キロ、3メートル破壊沈下した。荒川の堤防は、この淀川の堤防と同じ構造だという。東日本大震災では何と3500か所で河川堤防が壊れた。東京の堤防の大半が液状化地盤に築かれているのも不安材料だ。東京のゼロメートル地帯で最も標高が低いのは江東区東砂でマイナス3メートル。満潮時の海面よりも約4メートルも低い。本書では様々なシミュレーションが掲載されているので、関係地区の住民は見ておいた方がよさそうだ。
大地震は晴天時に起きるとは限らない。今回のような台風や豪雨のさなかに起きたらどうなるのか。考えるだけで空恐ろしい。BOOKウォッチでは『命を守る水害読本』(毎日新聞出版)、『宅地崩壊』(NHK出版新書)なども紹介している。
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