2015年に『火花』で芥川賞を受賞した吉本興業所属の芸人、又吉直樹さんの初の長編『人間』(毎日新聞出版)が、2019年10月10日に発売されるのを前に入手したので、読んだ。
18年9月から19年5月まで毎日新聞に連載された小説を加筆修正したのが本書。一読し、紛れもない傑作であることが分かった。タイトルの「人間」は、茫洋としてつかみどころがないが、ここには又吉さんの人生のすべてが詰まっている。
前の2作、『火花』と『劇場』が中編だったのに対し、『人間』は長編。しかも新聞連載小説という制約がある。又吉さんが芥川賞を受賞したあと、少し様子見しながら、新聞各社は数年先の新聞連載を打診したに違いない。新聞小説のスケジュールはそれぐらい先々まで詰まっている。毎日新聞がくどき落とした訳だが、その期待に十分応えた作品になった。
芥川賞が新人の登竜門とすれば、新聞連載は「人気と実力」を認められた作家の大きな関門である。長期間、一定のペースで小説を執筆するには、確かな力量が要求される。作家にはすごいストレスである。体調を崩し、連載を中断した作家もいれば、オチがつかず竜頭蛇尾に終わった作品もある。マスコミの文芸担当者なら、すぐに何人かの作家の名前が思い浮かぶことだろう。
毎日の原稿料のほかに、加筆修正の上、書籍化されてさらに収入が期待できるし、毎日の新聞に自分の名前が出るので連載開始前から作家は張り切る。連載の後、単行本化に数年かかることもあるが、本書が数か月で出版されたのは、連載時の骨格がしっかりしていたためだろう。
さて、本書の設定を簡単に説明しよう。主人公の永山はイラストレーター兼コラムニスト。38歳の誕生日を前に、古い知人からメールが届き、20年前に大阪から上京した頃を回想する。
又吉さんも連載当時は同年齢で、作者の自画像とも読めるが、後述するように少し手が込んでいる。永山は漫画家志望だが、上京する名目として美術系の専門学校に入った。先輩の知り合いが上野の美術館で若手の企画展に参加しているので、一緒に観に行ったのがきっかけで、上野公園にほど近い「ハウス」と呼ばれる共同住宅に住むことになる。
芸術家志望の若者たちが議論し、恋をし、世に出ようと創作に打ち込む。デビュー作『火花』が芸人をめざす若者たちの青春群像だったので、アーティストに置き換えた同系の作品かと思うと、そうではなかった。中編ならそれで済むが、長編は長いだけでなく、構造的な仕掛けが必要だ。
冒頭が回想シーンから始まっているので、必然的に「現在」が出てくる。芸人でありながら芥川賞を受賞した影島道生、主人公同様にイラストレーター・コラムニストという肩書で活動するナカノタイチ、二人の間で論戦が起こる。ナカノの影島批判の一節は、こうだ。
「穏やかそうで優しそうな雰囲気を演出しながら、影島道生は芸人であることを放棄し文化人として扱われ悦に入っている。(中略)彼のことを芸人と信じ、なにか面白いことをするのではないかと期待していたファンが仮にいたとして、その裏切りに対して影島はどう責任を果たすのだろう。少なくとも今後は芸人という肩書を詐欺的に利用するのは止めてもらいたい。こんなやり方のどこが優しいのか?」
影島もナカノをこう批判する。
「ナカノタイチの文章は修学旅行先の売店でサングラスを買い、それをずっとつけて悪ぶっている小学生みたいに香ばしい匂いがする。もはや笑えるレベルだよ。悪い意味で職業という縛りに従順なんだろうな」
読み進めると、この二人がかつて永山と「ハウス」で数年一緒に生活した「仲間」だったことが分かる。永山は創作にかんして、ナカノタイチにこっぴどく痛めつけられた苦い記憶があった。
又吉さんが自己を投影したような影島の人物造形が興味深い。本書でも影島が語る小説論や芸談がかなりひんぱんに長く出てくる。名前の通り、影島は又吉さんの「影」なのだろう。
物語は終盤、影島のフェードアウトとともに思わぬ展開を見せる。「沖縄」。又吉さんのルーツである沖縄を舞台に、それまでとまったく別の物語かと思わせるような濃密な家族劇の様相を呈する。
又吉さんは本の帯に「変な話だが、自分が小説を書くことになるなんて想像もしていなかった子供の頃から、この物語の断片を無意識に拾い集めていたような気がする」というコメントを寄せている。
若者たちの「上京小説」で始まった物語は、沖縄のルーツをたどる物語へと、いつしか変貌していた。ここに「人間」というタイトルをつけた作者の思いがある。
本書は間違いなく又吉さんの代表作となるだろう。又吉直樹を又吉直樹たらしめている、すべてがここにある。
BOOKウォッチでは、又吉さんの『劇場』を紹介済みだ。
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