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暗記の天才「稗田阿礼」は中国少数民族にもたくさんいた!

深層日本論

 タイトルに惹かれて手に取ってみた。『深層日本論』 (新潮新書)。「ヤマト少数民族という視座」という副題がついている。あまり一般には流布していない見方だ。

 著者の工藤隆さんは1942年生まれ。大東文化大学名誉教授。『古事記の起源』『大嘗祭』などの著書がある。

「うた」をもとに分析

 ふつう日本人論は日本人を軸に考える。そして、アイヌは少数民族、などという。ところが著者の工藤さんは、古代の日本人=ヤマト族も少数民族なのだという。一瞬、ヤマトと呼ばれた少数民族が次第にのし上がり、日本列島を制圧したのかと思ったが、そうではなかった。要するに当時の大国、中国から見れば、「倭」は少数民族に過ぎない、ということだった。

 このあたりは前置きで、徐々に本題に入る。工藤さんは日本文学や演劇の研究者で『古事記』についての著作が多い。本書でも古事記が中心になる。そこでひときわ「少数民族」の視点が生きてくる。

 『古事記』や『万葉集』には多数の「うた」が登場する。これらは、漢字を使って書き留められる前は、人びとの間で普通に歌われたり唱えられたりしていたのではないか。生活形態が限りなく「古事記の時代」の日本に近く、「うた」を大事にしている民族が現存すれば、その文化を手がかりに、日本古代の「うたの文化」をある程度復元できるのではないか・・・。

 そのような着想のもとに、工藤さんが注目したのが中国雲南省などの少数民族だ。ヤマトを中国の東方の少数民族とすれば、彼らは南方の少数民族。長く独自の文化を維持してきた。いろいろな面で昔の日本と似た風習もある。「中国」の影響を強く受けるまでは、共に無文字文化だったことも共通している。というわけで、ここからがすごいところだが、工藤さんはまるで文化人類学者のごとく1995年から約1年間、雲南省に滞在、その後も継続して調査を続けているのだという。

戸主が同時に「神話」も唱える

 本書には興味深い調査結果がいくつも出てくる。一つは四川省の少数民族「イ族」の創世神話「ネウォテイ」のこと。固定歌詞5680句からなり、これを「ビモ」と呼ばれる男性巫師がリズミカルに唱える。天地の誕生から始まり、人間の登場、イ族の系譜などさまざまな起源を物語る。イ族の多い美姑地区では人口15万人の中に約6000人ものビモがいて、全員が創世神話を唱える(歌う)ことができる。「戸主」はたいがいビモだそうだ。

 工藤さんは、この形態をモデルとして原始的なヤマト族文化を推測すれば、定住生活が主流になる弥生時代あたりは、このような、戸主が同時に「神話」も唱える(歌う)形態が存在していた可能性があると見る。

 『古事記』は稗田阿礼が暗唱していたものを太安万侶が記録したといわれている。稗田阿礼は超人的な記憶力の持ち主だと驚嘆されることが多いが、イ族の「ビモ」を思えば、それは当時としては普通のことだったのかもしれない。以下は評者の推測だが、「倭」のあちこちに「稗田阿礼」がいたのではないか。一族の神話や歴史的な出来事のみならず、一家の歴史までもが口伝で語られていたのかもしれない。そう考えると、古事記に神話や伝承が多い理由もわかったような気がする。

中国少数民族の文化世界と一致

 『万葉集』に恋愛歌が多いことはよく知られている。「相聞」と言われ、全約4500首のうち約1700首を占める。「雑歌」「挽歌」と言われるジャンルでも、表現としては恋愛歌があり、万葉集は男女の恋愛をめぐる歌が中心となっている。

 ここでもまた「少数民族」との関連が出てくる。中央集権による政治支配が整った中国の古代国家では、恋歌的なものは庶民のものであり、政府中央では政治的に実利の知恵が求められた。ところが日本では、政府中央の官僚によって編さんされた『万葉集』が恋愛歌だらけ。中国と大きな違いがある。

 その理由について、工藤さんは、文字によって記述される以前の日本列島の「うた」のあり方、特に歌垣の存在との関連を想起する。それを実証するため、中国長江以南の少数民族の歌垣を調査すると、恋歌だらけ。万葉集と似たような様式や、類似歌も少なくないことに気付く。同じよう言い回しもある。しかも歌垣の歌のほとんどは五音、七音の組み合わせ。これまた五七調との類似がある。恋歌が中心となる万葉の世界は、中国少数民族の「歌垣」の世界と重なり合うというわけだ。工藤さんは結論づける。

 「『万葉集』以下諸勅撰和歌集の恋愛歌への傾斜は、中国少数民族の文化世界と一致している」

 日本文学は万葉集を起点に貴族たちの恋愛と人生を描く源氏物語へと続いた。そこには古代日本の、無文字時代のおおらかな男女恋愛の姿が基層で息づいている、ということになるのだろう。

 日本文化や文学の成り立ちを、グローバルに、中国少数民族のフィールドワークから探り、類似性を見つけたという意味で、なかなか刺激的な論考だと思った。日本の創世神話に類似した物語がアジアのあちこちにあることは知られているが、雲南省の「歌垣」と「万葉」の類似については初耳だった。

『逝きし世の面影』を見た

 ところで、中国の少数民族をめぐる生活環境はこのところ激変。工藤さんが入り込めたのは、昔ながらの風習がかろうじて生き残っていた最後の瞬間だったという。今では伝統の歌垣は絶えて、観光用に残っているだけだ。

 工藤さんは、渡辺京二氏の名作『逝きし世の面影』を思い出しながら、「明治の近代化によって前近代の日本で形作られた多くの良きものを失った日本の場合と同じことがいま進行しているのだと思った」と記している。

 工藤さんは東大経済学部を出た後、早稲田大の修士、博士課程で文学を研究した人で、万葉、記紀研究者としてはやや異色だ。中国のフィールドワークの結果はビデオで撮っており、類書を既に何冊も出している。今も研究が続いているようだ。

 本欄では関連で『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)、『オールカラー 地図と写真でよくわかる! 古事記』(西東社)なども紹介している。

  • 書名 深層日本論
  • サブタイトルヤマト少数民族という視座
  • 監修・編集・著者名工藤隆 著
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2019年5月15日
  • 定価本体800円+税
  • 判型・ページ数新書判・256ページ
  • ISBN9784106108136

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