半藤一利さん(1930~)と保阪正康さん(1939~)は重なるところが多い。ともにノンフィクション作家で昭和史・現代史の研究者。多数の著作があり、今やこの分野の泰斗だ。二人の対談や共同での調査・研究の機会も多い。
半藤さんは2018年に過去の著作からエッセンスを抜きだして年代記風にまとめ直した『歴史と戦争』 (幻冬舎新書)を出版した。このたび保阪さんも同じ手法の著書を出した。それが本書『昭和史の急所――戦争・天皇・日本人』 (朝日新書)だ。
二人はともに編集者出身。半藤さんは最大手の文藝春秋で「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長を務めるなど本道を歩いた。いわゆる管理職が長かった。保阪さんは短期間、小さな出版社にいて、若くしてフリーのジャーナリストになった。そうした経歴の違いが、二人の作風にも若干の違いを与えている。
何しろ保阪さんは、取材で会った人の数が多い。戦争関係者だけで4000人近いという。戦争を指導する立場の人から、末端の兵士まで多彩だ。本書ではそうした保阪さんが足で集めた豊富な証言が随所で開陳されている。
全体の構成は「第1章 なぜ昭和に学ぶのか」「第2章 誰が戦争を始めたのか」「第3章 どうして戦争を終えられなかったのか」「第4章 激動期の怪物たち」「第5章 100年語り継ぐべき肉声」「第6章 教訓をさぐる」「第7章 天皇三代」に分かれている。
この中では「第5章」で特に戦争体験者の貴重な証言が目立つ。
たとえば、死者累々となったインパール作戦の生き残り兵士。保阪さんが話を聞いているときは正座し手をポケットに突っ込んで何かガチャガチャやっていた。何をしているんだろうと思ったら、数珠を握りしめながら死んでいった仲間のことを語っていた。そうでもしないと、「白骨街道」といわれたインパールからの悲惨な敗走記を回想できなかったのだろう。
知覧基地で特攻機の整備をしていた老人の話も辛い。特攻命令を受けると、隊員たちの大半は動転し、狂乱状態になったという。気絶したり、失禁したり、泣き喚いたり。いざ出発となると、飛行機までのわずかな距離をまともに歩けない隊員もいた。そうした隊員5人の体を抱え、操縦席に誘導したという老人は語る。
「私は同世代の5人を死地に送ったのです」
美談で語られがちの特攻だが、元参謀の1人は、特攻兵の最期の交信を記録した日記を保阪さんに見せてくれた。
「今日もまた『海軍の馬鹿野郎』と言って散華せる者あり。いかなることあっても部外秘」
保阪さんは100以上の戦友会の内輪の集まりにも足を運んできた。宴が進むと、店の人に入ってこないように言い渡し、ふすまを締め切る。気心の知れた仲間だけの部屋で彼らは凄い話を始める。「チャンコロを一発でヤったよ」「アメちゃんを日本刀で・・・」。保阪さんは、初めは違和感を覚えたが、やがて彼らが自慢話をしているのではないことに気づく。
苦しみを吐きだしているのだ。「お前だけじゃないよ」と互いに言い合い、重い荷物を一時的にでもおろしあう。それが心のバランスにつながっているのだということを知る。
末端の兵士には普通の庶民だった人が多い。それが召集され、縦社会の軍の規律の中で兵士としての無慈悲な役割を強制される。本欄で紹介した『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)に出ていたが、メンタルに異常をきたした例は少なくなかった。もちろん戦争中は秘匿されていた。
医療問題に関わる著作も多い保阪さんは、戦後、老人医療にかかわっている青年医師から聞いた「不思議な話」も紹介している。余命いくばくもなく、ベッドに横たわっているだけの老人が突然、跳ね起き、土下座して何かを呟く。しきりに謝罪している。類似のケースがいくつもあるのだという。たいがい激戦地で掃討作戦などを体験した人たちだ。保阪さんは、平時は抑え込んでいた苦しい記憶が、末期の肉体を突き動かし、浮上してきたのではないかと推測している。
戦場体験は実際に戦争に関わった人たちを長く苦しめる。先の知覧の整備兵とも似た立場を強いられたのが、激戦地の衛生兵だ。「赤玉」という隠語があったという。青酸カリのことだ。部隊が撤退するとき、重傷兵は連れて行けない。衛生兵が口をこじ開け、「赤玉」を飲ませる。抵抗力を失った戦友に自ら手を下すのだ。ロングセラー『日本軍兵士』(吉田裕著、中公新書)にも、同じように衛生兵が戦友を「処置」する話が出てくる。
このように先の戦争について調べて書いていると、批判を受けることがある。「日本人なのになんでお前は日本を批判するのか」。保阪さんのポリシーは、「日本人だからこそ、誤りを誤りとして認めなければ・・・そこから教訓を引き出してこなければ・・・そうしなければ、われわれの文化と伝統に傷がつく」。
あるいは大学や市民相手の講座などで昭和史を論じていると、「先生の考えは、自虐史観ですね」といわれることもあるそうだ。保阪さんの返答は、「私は自虐史観ではなく、自省史観の側に立っている。昭和という時代を自省や自戒で見つめ、そこから教訓を引き出し、次代につないでいくという立場だ」。
日本人が自分たちの手であの戦争について検証しようという動きは鈍い。1999年に、太平洋戦争の開戦の原因や被害の実態、どのように終結したかといったことを調査する部局を国会図書館に設置する法案が国会に提出された。提案したのは、鳩山由紀夫議員が会長を務める超党派議連。しかし、法案は4度提出されたものの、そのたびに審議未了で廃案になった。東京裁判を批判する声は今も根強いが、今の日本では「太平洋戦争を検証するための制度すら満足に作れないのが現状」だという。
本欄では、保阪さんの『昭和の怪物 七つの謎』 (講談社現代新書)や、半藤さんが、開戦時に陸軍中央部(陸軍省と参謀本部)の中堅参謀だった14人の座談会を再構成した『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)なども紹介済みだ。
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