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名作「となりのトトロ」は「ボツ」になりかけていた!

天才の思考 高畑勲と宮崎駿

 最高の書き手を得た本だ。『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』(文春新書)。アニメ映画監督の宮崎駿さん(1941~)と高畑勲さん(1935~2018)について、長年いっしょに働いてきたスタジオジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫さん(1948~)が存分に語った。この二人について語るに、鈴木さん以上の適任者はいない。鈴木さんならではの秘話や、鈴木さんだからこそ書ける内情が多数盛り込まれている。

「二本立て」という逆転の発想

 たとえば、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」を1988年に同時公開したころの話。制作・高畑、監督・宮崎の黄金コンビはすでに「風の谷のナウシカ」(84年)と「天空の城ラピュタ」(86年)を成功させていた。次に何をやるか。簡単には決まらなかった。

 まず、「トトロ」が浮上する。すでに宮崎さんが2、3枚の絵を描いていた。昭和30年代の日本を舞台にオバケと子どもたちの交流がテーマだ。今では誰でも知っている物語だが、意外にも当時はゴーサインが出なかったという。はたして「ナウシカ」や「ラピュタ」のファン層が食いつくかどうか。映画は失敗すると何億円もの赤字が出る。経営サイドは慎重だった。高畑さんも、「トトロ」は宮崎さんに任せる、自分は関与しないという姿勢だった。

 鈴木さんは知恵を絞った。宮崎さんの「トトロ」一本じゃだめなら高畑さんにも作ってもらって二本立てにすればいいんじゃないか。大胆な発想だった。こうして「火垂るの墓」とセットで作る構想が動き出す。戦中派の高畑さんは「火垂る」には乗り気だった。

 鈴木さんは当時、徳間書店でアニメ雑誌「アニメージュ」の編集長をしていた。同誌で宮崎さんに「ナウシカ」を連載させたのが鈴木さん。映画化にも関係していた。つまり、いわゆるジブリ・アニメは徳間書店が生みの親であり、企画とビジネスの両面で深くかかわっていた。ところが、「セット案」を聞いた徳間の副社長はカンカンだったという。「オバケ」の話に加えて、今度は「お墓」。何を考えているんだ、と。

新潮社が「援軍」で登場

 映画界では「墓」がタイトルになっている作品は極めて少ないそうだ。縁起が悪いということか。「野菊の墓」も、映画化では「野菊の如き君なりき」に変わっていた。「トトロ」「火垂る」は、「ナウシカ」「ラピュタ」のようなファンタジー路線とは相当のずれがあると経営陣は感じていたようだ。

 そんなときに、援軍が登場する。新潮社だ。「社長がアニメをやりたがっている」という話が鈴木さんの耳に飛び込んできた。偶然だが、単行本『火垂るの墓』の出版元は新潮社だった。「トトロ」を徳間、「火垂る」を新潮社という割り振りで両社が協力しながら「セット」でやれるかもしれない・・・しかしどうやって「徳間」の経営陣を乗り気にさせるか。

 鈴木さんは考えた。新潮社に比べて徳間は歴史が浅い。徳間のドン、徳間康快社長は新潮社にコンプレックスを持っているだろう。だから新潮社の社長から徳間社長に話があれば一発で決まるんじゃないか。そう思って新潮社の社長に頼み、徳間社長に電話してもらった。すると、事態が一気に進んだ。

 しかし、なおも曲折があった。「ナウシカ」「ラピュタ」を上映した東映が、「トトロ」と「火垂る」は自社のカラーに合わないと断ってきたのだ。本音は「売れそうもない」ということ。それではと、東宝に行ったら、また断られる。いよいよ追い詰められたが、ここで徳間社長が踏ん張った。自ら東宝に乗り込んだのだ。

 当時、徳間社長は超大作映画「敦煌」を東宝での公開を前提に準備中だった。「わかった、『敦煌』は東映に持っていく」。徳間社長の啖呵にあわてた東宝は公開を了承する。徳間社長にしてみれば、新潮社の社長に頼まれたという経緯もあったから、もはや中止にはできなかったのだろう。鈴木さんの巧妙な作戦が成功した。

「キネマ旬報」は1988年のベストワンに

 こうして「トトロ」と「火垂る」が出来上がった。アニメの公開時期は通常、春休みか夏休みだが、両作品は4月16日から。そのハンディもあったのか、興収はイマイチだったが、グッズなどの副収入がたっぷりあった。その後も何度もテレビ放映され、大いに潤った。

 一連のジブリ作品の中で「トトロ」の最大の功績は、日本のアニメを芸術・文化としてハイレベルの価値があるものだと世間に認めさせることができたということだ。伝統ある映画雑誌「キネマ旬報」は1988年のベストワンに「トトロ」を選んだ。朝日新聞の「88年映画回顧」では5人の映画評論家が、それぞれの「ベスト5」を選んでいるが、重鎮の佐藤忠男、品田雄吉、白井佳夫の3氏が「トトロ」を推している。同紙はこの年の映画界の特徴を「実写がアニメに敗れた年として記憶されることになるかもしれない」と書いた。

 こうして鈴木さんが舞台回し役として奔走した「トトロ」は声価を不動のものにした。鈴木さんは徳間に19年間在籍、途中から宮崎・高畑アニメに深くかかわり、その後ジブリに移って歴史に残る作品を生み続けている。

 本書では、公開延期、スタッフの取り合い、我慢比べ、膨れ上がる予算、クーデター計画などジブリ作品制作の内幕や、「二人の天才」のぶつかり合いが赤裸々に語られている。最初で最後という「 高畑、宮崎、鈴木の特別鼎談」も収録されている。

出刃包丁を突きつけられたことも

 本書を読んで痛感するのは、宮崎・高畑は天才だが、二人を動かした鈴木さんもタダモノではないという当たり前の事実だ。鈴木さんは冒頭でちょっぴり「自分史」を書いている。原点になったのは、徳間に入ってすぐに配属された週刊誌「アサヒ芸能」での記者経験だ。

 血気盛んな先輩が多くて、編集部で「決闘するぞ!」とケンカが始まったり、やくざ取材から戻ってきた記者が隣で血を流しながら原稿を書いていたり。鈴木さんも事件の現場取材をする中で、出刃包丁を突きつけられたことがあったという。

 そういえば当時の、より詳しいことが本橋信宏さんの『新橋アンダーグラウンド』(駒草出版)に出ていたことを思い出した。新橋には徳間書店があり、鈴木さんやジブリを育てた場所でもある。十数ページを費やして「スタジオジブリ代表・鈴木敏夫と会う」という小見出しで紹介されている。

 アサ芸でライターをしていたこともある本橋さんの取材ということもあって、鈴木さんはあけすけに語っている。慶応大学時代は全共闘運動に関わり、委員長もやったこと、その敗北感みたいなのがあって、真面目にどっかで働くということに抵抗があったことなど。朝日新聞の求人欄を見て徳間書店に応募、2000人の中から5人が合格し、「アサヒ芸能」に配属。5億円を横領して捕まった人物の「5人の愛人全員」に会う取材を命じられたこともあったという。鈴木さんとのインタビューをもとに本橋さんはこう結論付けている。

 「鈴木敏夫が記者として追い求めた究極のテーマは人間だった」
 「泥臭いアサ芸時代の体験は、人間の奥底をのぞき込む貴重な体験でもあった」

 ジブリアニメというと、心が洗われる作品の数々が思い浮かぶが、本橋さんは「慈しみと生命力を感じさせる『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』にも怪異が潜み、大人から子どもまで魅了するスタジオジブリの深遠な作風になっている」と分析している。ジブリの仕掛け人の実像を知りたい人には、こちらも一読することをおすすめしたい。

  • 書名 天才の思考 高畑勲と宮崎駿
  • 監修・編集・著者名鈴木敏夫 著
  • 出版社名文藝春秋
  • 出版年月日2019年5月20日
  • 定価本体1200円+税
  • 判型・ページ数新書判・426ページ
  • ISBN9784166612161
 

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