本書『100年かけてやる仕事』(プレジデント社)著者の小倉孝保さんは毎日新聞の海外特派員としてロンドンに駐在していた2014年に「中世ラテン語辞書作成プロジェクトが101年ぶりに完了」という小さな新聞記事を見つけて強く心揺さぶられ、このプロジェクトに関わった人たちへの取材を始める。
新聞づくりという、日々の作業だけを取り上げれば非常に短いタームの仕事に携わっている著者が、百年をかけた辞書作り、つまり「自分が生きているうちに完成を見ない仕事」への興味を膨らませ、「何のために」「誰のために」という疑問への答えを探した作品だ。
英国で「準国家プロジェクト」として中世ラテン語辞書作りが始まったのは、1913年。当時、英国の知識人は1678年に作成された『中世ラテン語辞典』を使っていた。この辞書はフランス人ラテン語学者、デュ・カンジュによって編纂されたもので、英国人ラテン語学者の中には英国人のつくった本格的な辞書がないことに不満を抱くものも多かったという。ラテン語は欧州全域で古文書に使われているが、地域によって微妙に異なるため、英国人による、英国の古文献のための中世ラテン語辞書の作成が待たれていた。
英国学士院によるプロジェクトの実行が発表され、それと同時に「ワードハンター」と呼ばれるボランティアの募集が行われた。辞書づくりは、まずは言葉の採取から始まる。ボランティアの役割は、中世ラテン語で書かれた12世紀以降の文献を読み、適当な言葉を「スリップ」(カード)に書き留めることだ。100~200人の有志が参加したとされている。1913年からの100年間にはヨーロッパでは二度の大戦があったが、スリップの作成と収集はその間も細々と継続されていたというのだから驚きだ。ボランティアたちがコツコツと採取したラテン語が記載されたスリップは、最終的に75万枚になり、プロジェクト始動から50年以上を経た1967年に初代編集長が就任。いよいよ辞書の編集が始まることとなった。
編集現場では、それらのスリップをアルファベット順に整理・分類し、定義を英語で書く。さらに出典を確認するために編集者はバスや地下鉄に揺られて図書館や公文書館に足を運んで一語一語を原典に当たる。情報の元となるスリップは、すべてが手書き。解読が困難なものも少なくなかった。社会がコンピュータ化されるはるか以前に始まったプロジェクトは、とにかく時間と手間を食う。1970年代の英国は国営事業が国際競争力を失い財政は悪化の一途をたどっていたこともあり、資金難という大きな壁にも何度もぶち当たった。
いくつもの困難を乗り越えて中世ラテン語辞書が完成したのはプロジェクト開始からちょうど100年後の2013年、事後処理も含めてプロジェクトが最終的に終了したのは2014年の9月だった。
著者は取材のためにスリップを集めたボランティアを探したが、すでに半世紀前に収集作業がほぼ終わっているため結局誰一人見つからなかった。「100年」というのは、それほどの長い時間なのだ。
1978年に第二代編集長に就任したデビッド・ハウレットは、英国人自身が中世ラテン語辞書をつくることの意味を「記録された歴史を完全なかたちで後世に引き継ぐため」だと語っている。その記録とは、たとえばマグナ・カルタ(大憲章)であり、ニュートンが万有引力の法則を発表した時のレポートだ。当時の役所や教会の公文書、哲学や科学の発表論文など多くの文献は中世ラテン語で書かれている。
それらを「完全なかたちで」引き継ぐことがなぜ重要なのか?それは、「記録」には当時を生きた人々の精神が宿っているからだ。英国議会貴族院の展示室でマグナ・カルタの原本の公開に立ち会うという稀有な体験を得た著者は「辞書づくりに関わった人たちは中世ラテン語だけでなく大憲章の精神というバトンも後世に手渡したことになる」と感じたという。
「引き継ぐ」べきものは、なにも大憲章のような大層なものだけではない。人は誰もが誰かに伝えたいこと、引き継ぎたいことを持っている。亡くなった祖父母の口ぐせ、子ども時代に父母が繰り返し与えてくれたやさしくて温かいしぐさ、これまでの人生で出会った人たち、影響を受けた様々のこと。その折々にどんなことを感じたのか、どんな変化が起こったのか。それらを伝えるためにも、やはり言葉が必要だ。そう、なにかを「引き継ぐ」ためには常に正確な言葉が必要なのだ。
「言葉は歴史を読み解く暗号であり、辞書は暗号解読器だった」。著者はそう記している。
本書の中でいちばん好きなエピソードは、ボランティアたちから届いた手書きのスリップに、時々「自分はこう考えます」という説明が書かれていたという話だ。「小さなカードを通してそうした人たちとやりとりをしている気がしたものです」という編集スタッフの言葉も温かくて、思わず嬉しくなる。
「自分の生きている間には、辞書は完成しないだろう」―--そう認識しつつも、無報酬でコツコツと言葉を集めた人たち。彼らは他者のために努力できる立派な人たちだ。だけど、決してしかめっ面でやっていたわけではないはずだ。評者のイメージの中では、みんなとても嬉しそうにはしゃいでいる。
「こんな言葉を見つけた!」「これに気づいたのってすごくない?」
そんな喜びの声が聞こえてくる。ラテン語を集めるというある種の知的作業は、誰にでもできることではない。それを、自分はできるという自負。自分の集めた言葉が、いつか誰かの役に立つかもしれないという期待。多くはシニア世代だったというボランティアにとって、スリップを書いては送ることは老後の日々の大きな生き甲斐でもあったと思う。
本書に描かれているのは特定の人たちによる、切り取られた「100年」の仕事の話ではなく、連綿と続く「人類」の営みの話だ。「誰かの役に立ちたい」という「人」が持つシンプルでまっすぐな、とても明るい"欲望"を満たすためのヒントにも満ちている。
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