警察小説の第一人者横山秀夫さんが、警察抜きの傑作ミステリーを書いた。本書『ノースライト』(新潮社)だ。前作『64』から6年ぶりの長篇。「横山ミステリー史上最も美しい謎」という帯の惹句は、単なるキャッチコピーではなかった。
小さな設計事務所の一級建築士、青瀬稔にはこのところ追い風が吹いていた。バブルの頃、中堅の設計事務所で商業ビルの設計を手がけ、多忙をかこっていたが、やがて解雇され、インテリアデザイナーの妻とも離婚。仕事も生活も煮詰まっていたところを、大学の同級生、岡嶋の事務所に拾われた。
「あなた自身が住みたい家を建ててほしい」と理解ある施主の求めに応じて、設計と施工監理した信濃追分の「Y邸」は、豪華本『平成すまい二〇〇選』にも選ばれ評判になった。あえて北向きの採光にこだわったその木造住宅は、青瀬の代表作になり、仕事の依頼も増えていた。
ところが、青瀬に仕事を依頼しようとした主婦が、「Y邸」を見学に行ったら、だれも住んでいない様子だったという。不審に思い、岡嶋と二人で「Y邸」を尋ねると、ドアが開いた。家は無人で家具もなく、引っ越してきた気配もなかった。ただ一つ、浅間山を望むように置かれた「タウトの椅子」を除けば......。すでに引き渡して4カ月にもなる。施主一家はいったいどこに行ったのか?
しかし、事件性は特にないので警察に届ける訳にもいかず、青瀬は一人で施主、吉野の周辺を調べるが、東京の吉野の借家はすでに空き家になっていた。しかも吉野は一人住まいで、妻がいた形跡はないという。あれほど熱心に家への情熱を語っていた夫婦は、なんだったのか。謎がふくらんでいく。
家に死体があったとか、血痕が残っていたとか事件性があれば、警察が登場し、いつもの横山ワールドが展開するのだろうが、今回は違う。
てがかりと思われるのは、戦前に日本に来たドイツの建築家ブルーノ・タウトが残した可能性のある椅子だけだった。タウトの足跡をたどり群馬県や仙台へと青瀬は向かう。
主人公青瀬の人物造形が印象深い。父はコンクリートの型枠職人で全国のダム建設現場を転々とする「渡り」だった。その父とともに転居は28回、小中学校の転校は7回に及んだ。建築素材としてもコンクリートにひかれ、木造住宅にこだわる妻との間にすきま風が吹いた。だが、「Y邸」はなぜか木造建築を選んだのだった。
ミステリーと言っても、主人公が建築事務所の仕事をしながらの「日曜探偵」なので、描写の多くは建築・設計関係となる。最後まで読めば、建築についてかなり詳しくなるだろう。そして設計業界の厳しい競争にも鼻白むだろう。
本書の中盤で二つのタイプの新聞記者が登場し、狂言回しの役をつとめる。一人はタウトの椅子の謎について、もう一人は岡嶋が秘かに進めていた美術館の設計コンペをめぐって。このあたりは横山さんの警察小説でもおなじみの舞台だ。建築は聖と俗が同居する世界でもある。
さて「一家」はどうなったのか? そして真相は? 読み通すと、驚くべき精緻な「設計図」で描かれた小説だと感嘆するだろう。初出は2004年から2006年にかけての雑誌『旅』の連載。それから十数年かけて全面改稿した。時間がかかったわけだ。「ノースライト」とは北向きの光。清澄なその光に包まれたような、しあわせな感動とともに読了するだろう。
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