本書『昼は散歩、夜は読書。』(而立書房)はタイトルこそ優雅だが、中身は激しい仕事の本である。三浦さんは、『下流社会』、『第四の消費』などのベストセラーをもつ著述家。都市や生活文化に詳しい。
第一部は読書史、第二部は「本と仕事の個人史」などのコラムという構成だが、徹底的に個人史の観点で書かれているのが面白い。たとえば藤原新也著『東京漂流』の書評(?)は、こんな書き出しで始まる。「『東京漂流』が出てすぐ、私の上司は私に『三浦っ! これがマーケティングだっ!』と唸るように言った。彼は自分がやろうとしてできないことを藤原さんが見事にやってしまったと悔しがっているように見えた」
三浦さんは一橋大学社会学部卒業後、パルコに入社。マーケティング誌「アクロス」の編集に携わった。編集長がやられたと思ったのは、「現代人の欲望が向かう先」を藤原氏が暴き、市場が変質させる社会を分析する「社会学」の本だったからだ。その視点は当時まだあまり注目されていなかった都市の郊外を視野に入れていた。その後、パルコの増田通二会長は「郊外の文化論をやれ」と三浦さんに命じたという。ありきたりの郊外の市場分析でないところに、パルコらしさがあったと振り返る。
「アクロス」は38歳の編集長以下、12人のスタッフがすべて27歳以下で、その12人が「企画し、調査し、文章を書き、写真も撮り、校正もして、必要があれば絵も描いて、というように全部社員だけでやっていました。もちろんワープロもパソコンも携帯電話もない時代です」
「住宅の研究に大友克洋の『童夢』が登場し、消費の研究に『ブレードランナー』が登場する」自由のかわりに、記事はすべて自分たちで書いたという。マーケティング誌というより完全に文化分析雑誌であった、と書いている通り、評者は80年代に地方にいたが、「アクロス」経由で変貌する東京や首都圏の都市や消費の動向を知り、おおいに刺激を受けた。不思議な雑誌だと思ったが、今回、本書の第二部を読み、その秘密がわかった。
パルコ、あるいはセゾン全体の特徴として、徹底的にブレスト(ブレーンストーミング)をしたという。「一時間や二時間議論してもだめ。三日三晩くらいでないと」「記事の方針が担当者のお腹の中にしっかり落ちてから原稿を書く。だから、入社一年後には立派に記事が書けるようになったのだと思います」。ある種の集団主義がいい方向に働いたという。
社会学者の上野千鶴子さんは『情報生産者になる』(ちくま新書)の中で、「アクロス」編集長時代以来の三浦さんのデータの扱いを賞賛していた。定量分析はもちろんのこと、数少ないデータやインタビューから本質をつかむ定性分析の手法は、その時代に鍛えられたのだろう。
三浦さんはその後、編集長も務めるが、8年でやめる。「さすがに月刊誌を八年間、九十六回やると、同じテーマを論じても新しい切り口が見つからなくなった」
その後、三菱総合研究所を経て独立する。あまり仕事がなくて暇だったので、下北沢や吉祥寺を歩き、若者の行動を写真に撮って約50ページの資料を作り、企業に売った。ツテのあったトヨタやホンダ、松下電器は買ってくれた。日産はカルロス・ゴーン氏宛に手紙を書いたら、商品企画の課長から「一応調べているから要りません」と手紙が届いたという。しかし、その後仕事が来て、若者向けの車「キューブ」のモデルチェンジの仕事だったというから面白い。仕事の自信になったそうだ。
第一部の読書史も鋭い指摘に満ちている。村上春樹著『1Q84』は、東京論でもあるというのだ。村上春樹にしては珍しく実在の地名が登場する。男性主人公、天吾は「高円寺」に女性主人公、青豆は「自由が丘」に住む。「高円寺」に代表される中央線の若者文化から「自由が丘」に代表される東急線の若者文化への転換が、1984年頃にあったという。三浦さんと同時期に一橋大学を卒業した田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が、そんな時代相の変化をとらえているとも。
本欄では三浦さんの近著として、『東京郊外の生存競争が始まった!』、『100万円で家を買い、週3日働く』(いずれも光文社新書)を紹介した。若いころは雑誌の猛烈編集者・編集長として働いた三浦さんだが、最近はゆるやかな仕事の仕方に関心が移ってきたらしい。東京・吉祥寺の井の頭公園をはじめ、あちこちを散歩するのが生活であり仕事にもなっている。だから散歩といえども、ゆるくはないのである。もちろん読書も。
蛇足だが、近年、千葉、宇都宮など東京郊外や地方都市でパルコの閉店が相次いでいる。三浦さんがいたころのパルコが象徴する若者文化にも陰りが出てきた、ということだろうか。いま三浦さんが古巣をどう思っているのか知りたい、と思った。
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