フィギュアスケート・男子シングルでオリンピック連覇を果たした羽生結弦選手の人気はすごいものがある。出身地の仙台市での凱旋パレードに行った知人は、スマホで撮影した画像を自慢げに披露していた。そんなアイドル的存在にまつりあげられた羽生選手をすこし煙たく思っていた評者だが、本書『羽生結弦は捧げていく』(集英社新書)を読み、考えを改めた。彼の武器は「ジャンプ」だけではなかったのである。
著者の高山真さんは、1980年からフィギュアスケートを見ているエッセイスト。『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(集英社新書)という著書もあるが、フィギュアスケートライターとかスポーツライターを自称するつもりはないという。「それらの肩書きには、ある資格が必要だから」と謙遜しているが、十分フィギュアスケートの技術にも精通している人だ。
高山さんは、ジャンプやスピンなどの技と技との間をつなぐ「トランジション」に注目する。そして、「氷の上に図形(フィギュア)を描く」ことにもっとも真摯に向き合ってきた選手の一人が羽生選手だという。
フィギュアスケートをネックレスにたとえると、ジャンプがダイヤモンド、それらをつなぐ紐や「細工の見事なプラチナやホワイトゴールド」にあたるのがトランジションだ。
平昌オリンピック、ショートプログラムでの中盤の演技をこう書いている。
「左足のクリアなバックエッジから、すぐにクリアな左足フォアエッジへの切り替え。そして間髪入れずに今度は右足のクリアなフォアエッジから同じくクリアなバックエッジへの切り替え」
ショパンのピアノの旋律にピタリと合わせた、足さばきの精緻さに感動している。
平昌オリンピックの前に、あるラジオ番組で、高山さんは「羽生結弦のスケーティングは、点描という技法を確立した画家、ジョルジュ・スーラの作品を思わせる」と話したそうだ。「間近で見ても遠目から見ても、圧倒的。確かな技術と忍耐に裏打ちされた、まぎれもない芸術作品」としてのスーラと、羽生選手のスケーティングの統一感や完成度に共通点を見出している。
第2章の「2018~19年シーズンで羽生結弦が見せてくれるもの」で、本シーズンのショートプログラムの演技について、「ジャンプ、スピン、ステップありきで、それらをトランジションでつないでいく」というより「演技開始から終了まで、複雑な図形(フィギュア)を氷に描き続けていくことありき。ジャンプやスピン、ステップはその図形の中に組み入れられている」のではないか、と書いている。プログラムの概念がもはや、他の選手とは違うというのだ。
第3章「私が愛する選手たち」では、宇野昌磨選手、紀平梨花選手らについて解説している。
ジャンプを何回転したか、成功したか否かということだけに注目してテレビ観戦していてはわからない奥の深さが、フィギュアスケートの世界にあることを本書は教えてくれるだろう。羽生選手を見る目も変わるはずだ。
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