読むべき本、見逃していない?

ノアの方舟、バベルの塔、出エジプト...本当の話なの?

  • 書名 謎解き 聖書物語
  • 監修・編集・著者名長谷川修一  著
  • 出版社名筑摩書房
  • 出版年月日2018年12月 6日
  • 定価本体860円+税
  • 判型・ページ数新書判・238ページ
  • ISBN9784480683373

   聖書の入門書を何冊読んでも、しばらくすると内容を忘れてしまう。だから常にゼロからの再挑戦になる――評者はそう言う情けない読者の一人だが、本書『謎解き 聖書物語』(ちくまプリマー新書)は、多少はアタマに残りそうな気がした。タイトルにあるように「謎解き」のスタイルになっているので、理解しやすいのだ。

教科書の記述は正しいのか

   たとえば『旧約聖書』の「出エジプト記」について。著者の立教大学准教授・長谷川修一さん(オリエント史、旧約学、西アジア考古学専攻)は、高校の世界史の教科書(2017年発行、山川出版社『詳説世界史B』)を引用して説明する。

「遊牧民であったヘブライ人は、前1500年頃パレスチナに定住し、その一部はエジプトに移住した。しかしエジプトでは新王国のファラオによる圧政に苦しみ、前13世紀頃に指導者モーセのもとパレスチナに脱出した」

   たしかに、そうだったね、と昔の記憶を思い出す。ところが、この記述は正しくないのだという。「ヘブライ人」と呼ばれる人びとが存在したことも、彼らが「遊牧民」であったことも、「前1500年頃、パレスチナに定住」したことも、「その一部はエジプトに移住した」ことも、「エジプトで新王国のファラオによる圧政に苦し」んだことも、「前13世紀頃に指導者モーセのもとパレスチナに脱出した」ことも、証拠がないのだという。つまり、モーセが存在したことも、「出エジプト」があったことも、本当なのかどうか、わかっていないというのだ。

   ではどうしてこんな記述が、教科書検定を通っているのか。そのあたりも、本書では説明されているが、脱線するので本題に戻そう。

   なぜ、この記述が史実といえないのか。一つには、他に補強できるような文字史料が残っていないこと、もう一つは、考古史料も見つからないことによる。

   モーセが手をかざすと、海が割れ、荒野に早変わり。男性だけでも60万人が脱出に成功したという奇跡の物語――劇的すぎて確かに信じがたい。

バビロニア捕囚の苦難

   本書によれば、『旧約聖書』が語る「歴史」は、長い間、過去にじっさいに起こったことを記している、と考えられてきた。しかし近年、『旧約聖書』が書かれた当時の世界事情についての知識が増えていくと、こうした考えが根本から見直されるようになってきたそうだ。つまりさまざまな研究が進んだことで、「出エジプト記」の内容についても、「?」が付くようになった。

   著者は淡々と語る。「『旧約聖書』は、史実ではないこともあたかも史実であるかのように書いています」。しかし、こう付け加える。「史実ではないできごとが、さも史実であるかのように書かれているのにも、それなりの理由があります」。

   なぜそういった物語が書かれ、『旧約聖書』にとりいれられたのか。そのことを考えていくと、『旧約聖書』に新たな魅力が生まれる、というわけだ。本書では「アダムとイブ」「ノアの方舟」「バベルの塔」「出エジプト」「ダビデとゴリアテ」などの有名な物語を読みなおし、謎解きに迫る。

   著者が重視しているのは、バビロニア捕囚だ。紀元前587~586年、新バビロニア国が南ユダ国を滅ぼし、南ユダ国の一部の人びとはバビロニアに強制的に連れて行かれた。彼らの子孫が後にユダヤ人と呼ばれ、『旧約聖書』を完成させたと見られている。

   「捕囚」は民族にとってアイデンティティの危機だ。約半世紀後の紀元前539年、アケメネス朝ペルシャがバビロニアを滅ぼすまで続いた。苦難の日々の中で、様々な過去の伝承や近隣の神話を吸収しながら、『旧約聖書』の執筆が本格化したと世界の研究者は見ているそうだ。

明治維新を例にとって説明

   本書でちょっと興味深く思ったのは、「民族の神話」が作られるのは、たいがいその民族を一つにまとめようとする時だ、という指摘だ。そのことを、日本を例にとって説明している。

   明治の新政府は日本を一つにまとめることに腐心した。行政面では「藩」を廃止して「県」にした。「藩主」は世襲で地域の独立性が強かったが、「知事」は任命制。中央集権を強化し、精神面では天皇中心の国づくりをすすめた。『古事記』や『日本書紀』を使って天皇が活躍する建国神話が刷り込まれる。紀元節など「三大節」と呼ばれる大きな祭りも制定、国民は天皇のもとで一つにまとめられていった......。著者は「このような状況が「出エジプト記」誕生の背景にもあったのでは」とみる。考えて見れば『古事記』や『日本書紀』そのものにも、同様の背景があると言えるだろう。

   本書では近年の例として、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の成立過程も参照している。19世紀初めに帝政ロシアの支配下になったフィンランド人はロシア語を強制される。その結果、逆に知識層では民族意識が高揚し、古くから伝わる独自の伝承が『カレワラ』としてまとめられた。そのプロセスでは伝承の改変、創作も行われた。したがって『カレワラ』は民族の魂を揺さぶる「壮大な叙事詩」ではあるが、史実ではない、とされている。 著者は「旧約」についても同じような「編集作業」を示唆する。バビロニアに幽囚された南ユダの人びとにとって、かつて神のもとに民族の団結を高め、エジプトの圧政から脱出したという伝承は、史実かどうかは別にして大きな希望だった。自分たちもパレスチナに帰還したい。「第二の出エジプト」を果たしたい。その思いが「出エジプト記」に凝縮されているというわけだ。

   本書を読んで、少なくとも「出エジプト記」の背景だけはアタマに入った。忘れることはなさそうだ。

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