5年前に和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、このところのインバウンド(外国からの訪日客)の大幅アップにも貢献しているという。登録名は「和食:日本人の伝統的な食文化」。このなかには、料亭などで提供される本格的な日本料理だけではなく、トンカツやコロッケなど洋食由来ながら広く親しまれている日本の家庭料理も含まれる。
本書『日本の洋食』(ミネルヴァ書房)では、和食というよりは、海外からみれば「日本料理」とみなされながら、国内では「洋食」とされる数々のメニューがどう日本に定着したのかなどをたどる食べ物の歴史読本。楽しく、おいしく読める一冊。
「洋食」は、日本で独自に発展した西洋風の料理のこと。もちろん、純粋な日本料理ではないが、いまでは日本中で食べられ、伝統的な日本料理とともに日本の食文化を形づくっている。無形文化遺産登録を目指すなかでは当初、会席料理をアピールしようと考えられたのだが、現代の和食を象徴するものとしては説得力を欠く。本書によれば、一般の家庭料理を含むものとすることで「不思議感・違和感がなくなった」という。本書は、それほどまでに洋食が日本に根付いた理由や背景を、まさに紐解くように解説している。
著者は、世界の料理についてのウェブサイト「e-food.jp」を主宰する、各国・郷土料理研究家。「世界の料理レシピ・ミュージアム・ライブラリー」館長を務めている。
わたしたちの多くが「日本の家庭料理」と思っているものでも洋食由来のメニューがあるなど、日本の食生活には実のところ洋食が広くいきわたっている。たとえば「肉じゃが」はその一つ。原型は英国の「ビーフシチュー」という。
1871年(明治4年)から7年間、同国に留学した海軍の東郷平八郎が、英国滞在中に食べたビーフシチューの味が忘れられず、また栄養価が高かったことから、海軍の料理長に命じて再現させたのが起源といわれる。当時は、ビーフシチューに使うワインやバターのほか調味料が入手困難で、しょうゆ、砂糖、ごま油で調理され、それなりにおいしく、東郷は気に入ったそうだ。
この「肉じゃが」をめぐっては、京都・舞鶴市が「発祥の地」をアピール。東郷が舞鶴鎮守府初代司令長官として同地で2年間過ごしたことがあり、また、同地の海上自衛隊施設に残る海軍の料理教科書に「甘煮」として肉じゃがの作り方が掲載されているからだ。
明治時代の帝国海軍は、日本で西洋料理が洋食として大衆化するうえで大きな役割を果たしている。帝国海軍は1870年(明治3年)に、その兵式を英国式にすることを決定し、食事に英国式を導入。西洋人なみの体格や体力をつけさせるため、また、当時深刻な問題となっていた、ビタミン欠乏による「脚気」予防のため、いわゆる洋食が多く採り入れられた。そして、その食生活に親しんだ兵士たちがのちに全国でカレーライスやビーフシチューを広めるようになったものだ。
「肉じゃが」が洋食由来とは意外だが、輸入して日本仕様に加工されたような外観ながら、日本生まれの洋食も少なくない。
「ドリア」はその一つだろう。1930年ごろに日本で考案されたメニューという。生まれた場所は、1927年に開業した横浜のホテルニューグランド。同ホテルの初代総料理長としてスイスから来日したラリー・ワイルが、体調がすぐれない宿泊客の「何かのど越しの良いものを」というリクエストに応じて調理したものが最初という。
バターライスに海老のクリーム煮を乗せ、ホワイトソースにパルミジャーノチーズをかけオーブンで焼いたもの。いまでも同ホテルの名物料理になっている。「ドリア」の名前は、伊ジェノバの名門貴族ドリア家が由来とされ、19世紀に美食家だった同家の名前を冠した創作料理をつくる料理人がフランスに多かったことなどが動機になっているのでは、という。
このほかコロッケやオムレツ・オムライス、ハヤシライスなどの誕生についてや、各地でトンカツでご当地料理に変身した経緯など、食欲ならぬ読書欲(?)がそそられる。「食べ放題」の代名詞にもなっている「バイキング」は、日本固有の呼称なのだが、帝国ホテルがオリジナルで使い始めて定着したというのは意外だった。
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