1年前に出版された本書『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』は、作家の西村京太郎さんが少年時代の戦争体験をリアルに振り返った本として話題になった。お得意のミステリーではなく、書き下ろしの自伝的ノンフィクションだ。ただし、単なる体験記にとどまらない。日本がなぜあのような「大失敗」をすることになったか、そのナゾについても十二分に解き明かされている。
本書の前半はタイトル通り、戦争末期の話がつづられている。戦況が悪化しているから、自分もそのうち兵隊にとられるだろう。下っ端の兵隊で苦労するよりも、将校になれる陸軍幼年学校(陸幼)の方がトクだ。そう割り切って受験したという。大変な難関だったと思われるが、本書ではたんたんと、昭和20(1945)年4月1日、東八王子にあった東京陸軍幼年学校に入学したと書いている。満年齢で14歳だった。同期生は360名。
陸幼は、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)へと進む陸軍の超エリートコースの入り口。大本営参謀や大将の道が開ける。通常は3年間学ぶが、西村さんが在籍したのは終戦までの5か月だけだ。「それでも強い使命感が生まれた」という。選抜エリート教育の結果だろう。2.26事件を首謀した青年将校の多くが幼年学校出身者だったことを引合いに出し、あのまま戦争が続いていたら、「私たちも昭和維新に走ったかもしれない」と書いている。
だが戦争は続かなかった。本土空襲が激しくなり、8月2日にはB29編隊が陸幼を襲って焼夷弾をばらまいた。学校が炎上、生徒7人、教師3人が亡くなった。翌日、材木を集めてやぐらを組み、遺体を焼いた。昨日までは戦争に負けると思わず、本土決戦、早く来いと勇んでいたが、さすがに元気が出ない。ほどなく広島、長崎に原爆が落ち、8月15日を迎える。何か叫びたくなって、「東條のバカヤロー」「あいつのせいで、負けたんだ!」と叫んでいた。東條は幼年学校の輝かしい大先輩だった。
興味深いのは、本書の後半で、なぜ日本が道をあやまったか、しっかり考察していることだ。さすが陸幼出身と言うべきか、謎解きが専門のミステリー作家だからか。
西村さんが手厳しく批判するのは「特攻」「玉砕」作戦だ。命を粗末にしているというだけではない。戦争とは、生き残った人数が多い方が勝ちになる「生き残りゲーム」なのだ。いたずらに死者を増やすことは、その当たり前の理屈から逸脱している。そこには東條英機の「戦時訓」が影響しているとみる。「生きて虜囚の辱めを受けず」。民間人までサイパンや沖縄で自決を強いられた。西村さんは、明治時代にすでに作られていた「陸軍刑法」を引き合いに出して批判する。
「驚いたことに、矢折れ刀つきて、戦うことが不可能になった場合は、降伏することが許されると、書かれているのである。しかも、その刑は、六ヶ月の禁固と軽いのだ」
「私は、改めて『戦時訓』をつくった東條英機に、腹が立った。東條(当時、陸軍大臣)は、『生きて虜囚の辱めを受けず』と書いたとき、陸軍刑法の存在を知っていたのだろうか?」
「陸軍刑法」には占領地の住民に対する殺人、強姦などについての罰則も明記されているそうだ。「もし、兵士や軍属の中に、殺人や、占領地の女性に対する強姦などの行為があった時、すぐ、裁判にかけ、陸軍刑法によって裁いていたら、南京事件は、起きなかったかもしれない」と残念がる。
陸軍将校が常に手本としたのは「桶狭間の戦い」だ。小勢が奇襲で多勢に勝ったとされる。そして、「大楠公精神」。天皇の命に従い、足利尊氏の大軍と戦い全滅し自刃した。死ぬことを承知で戦うことを当時「大楠公精神」と呼んだ。東條は特に、「敵機は精神力で撃墜せよ」など「精神論」を好んだことで知られる。西村さんは、太平洋戦争とは、大げさに言えば、現代に生きるアメリカ兵と、タイムマシンで、明治時代からやってきた日本兵との戦いだった、と総括する。
いくつかの「逸脱行為」についても触れている。たとえば九州の捕虜収容所では捕虜の米軍パイロット8人を処刑した事件があった。罪状は市民に対する無差別爆撃。東京裁判で問題になり、現場の所長は中央、すなわち大本営からの命令と主張した。「命令書」も提出したが、中央は、命令書はニセモノだと現場の独断を主張し、責任を免れた。所長は死刑になった。西村さんは「大本営の命令」ということになれば、「天皇の命令」となってしまうので、地方の段階で処理しなければならなかったとみる。
ミステリーを量産している人気作家は、先ごろ亡くなった内田康夫さんほか、森村誠一さんや赤川次郎さんなど、いずれも社会問題や時局に敏感だ。しばしばメディアで発言しているし、新聞の投書欄で名前を見かけたこともある。そうした人たちと、西村さんはちょっと肌合いが違うように感じていたが、本書を読んで、どっこい筋金入りだということが良く分かった。
ちなみに陸幼では、玉音放送の後、生徒監や下士官がトラックで倉庫から食料や衣類をどこかに運び去った。「これはアメリカ兵に渡さない。我々が再び立ち上がる時のために隠しておく」とのことだったが、この品物を使って生徒監の一人は戦後の闇市で成功したそうだ。
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