文部科学省が主催する全国学力テストで近年、秋田県は北陸の石川県、福井県とトップを競っている。その秋田県の中でも東成瀬村がトップと報道されたことから、奥羽山脈の山ふところに広がる人口約2600人の小さな村は、「学力日本一」の村として有名になり、全国や海外からの視察が相次ぐようになった。
本書『「学力日本一」の村』(無明舎出版)は、教育の本でも、村の子どもたちの学力の高さの秘密を探ったルポでもない。村の四季を追いながら、自然や人々のくらし、歴史、文化を記録した本である。そこから、なぜこの小さな山村が、「学力日本一」の村と呼ばれるようになったかが、そこはかとなく納得できる仕掛けになっている。
著者のあんばいこうさんは、秋田市で無明舎出版を主宰しながら、自身も『力いっぱい地方出版』(晶文社)、『田んぼの隣で本づくり』(日本エディタースクール出版部)など多くの著書をもつライターでもある。東成瀬村に隣接する湯沢市生まれのあんばいさんにとって、村は交通の便が悪い暗いイメージだったという。50歳を超えてから登山をはじめ、村を経由して奥羽山脈の山々に分け入った。そんな山行を通じて村の人たちと知り合い、村の魅力のとりこになったという。
村を特徴づけるのは冬の雪の多さだ。3メートルを超える雪が壁となって立ちはだかる。万全の除雪態勢が冬の生命線になっている。村は南北に細長く、かつては冬に交通が遮断されることもあったため、中学校の分校が4つもあった。分校は小学校に併設されていたため、本来中学校は50分授業なのに、小学校に合わせて40分でチャイムが鳴ったという。年間にして1150時間も授業時間が不足していたのだ。1977年、村を二分した中学校統合が実現し、分校に通っていた生徒の学力向上が教師の課題となった、とあんばいさんは説明する。
もともと秋田県自体が昭和の学力テストの時代、全国最下位層に沈む「教育貧困県」だった。教員たちが改革に取り組み、秋田県独自といわれる「探求型授業」や学習ノートを活用した「家庭学習」が定着したという。東成瀬小学校も中学校も一学年20人あまりの少人数学級だ。9年間同じ顔触れ。「異質なものを受け入れる力をつけさせること」が村の教育方針となり、小中連携などの試みが続いている。「小一から中三までシャッフルしてグループ分けし、年齢を超えた学習母体をつくり、社会や大人に触れさせ、世代を超えて考えさせる訓練を意識的にしなければ、村の子供のハンディは消えません」という教育長のことばを紹介している。
ここでは教育に関係したことを紹介したが、都会から村に移住し、養鶏をやりながら本や漫画を何冊も出した夫婦や動物漫画『銀牙』で有名な村出身の漫画家高橋よしひろさんなど人の話題も豊富だ。
村は昭和の大合併、平成の合併という二度の町村合併で「単独立村」を選び、独自の道を歩いてきた。合併を選択した周囲の町村の存在感が薄くなったのに対し、東成瀬村は輝いているように見える。じつは幼少期の数年を、父の仕事の関係で東成瀬村で過ごした評者にとって、村が全国的に有名になることは長年夢想すら出来なかった。雪との闘いを克服したからこその、今日だと痛感する。
かつて昭和の農民小説の第一人者、伊藤永之介(1903-1959)は、「山美しく人貧し」と書いた色紙を村に残している。人がじつに豊かになった平成の村を見たら、なんと書くのか、知りたいと思った。
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