直木賞作家の白石一文氏をして「これで直木賞を取りたかった」と言わしめた自信作が、本書『一億円のさようなら』(徳間書店)である。氏の作品をほとんど読んできた評者も、氏の最高傑作、極上のエンタテインメントが誕生したと祝福したい気分だ。
長年連れ添った妻には秘密があり、とてつもない資産をもっていることが分かった。妻は夫に一億円を渡し、自由に使ってもいいと言う。もし、あなたならどうする?
主人公の加能鉄平は九州・博多の中堅化学メーカーの本部長だ。創業者一族とは言え、従兄弟の社長からうとまれ、本流の事業部長から3人しかいない職場に飛ばされたのだった。県外の学校に通う息子と娘にも疎外され、妻にも秘密が。四面楚歌に陥った鉄平は妻から渡された一億円を手に、わずかな縁を頼りに北陸・金沢へ移り住む。もちろん妻とは離婚する覚悟の単独行動だ。
鉄平は冬の金沢で生まれ変わったようにいきいきと行動を開始する。繁華街の香林坊に1LDKのマンションを借りる。中古のベンツCクラスを買う。金沢でのひとり暮らしに少しずつ彩りが加わる。食べものの記述も豊富だ。いきつけの小料理屋では「手取川の大吟醸を二合と、ブリの叩き、がすえびの唐揚げ、白子のバター焼き」を注文する。
たまたま知り合った若者たちと金沢名物だった持ち帰り寿司の店を始め、これが大成功し、2号店を出す勢いに。地元の人たちとの人間関係も充実する。ところが、どこか店の経営に本気になれない自分がいた。そんな折、博多の古巣の会社から使者がやってきて......。
物語は思わぬ展開を見せ、登場人物たちも一筋縄ではいかない強者ぞろいだ。そして白石作品には欠かせない男女の濃密なかかわりも。541ページの大著だが、あまりの面白さに一気に読まされた。
会社からはリストラされ、家族からも遠ざけられた五十男に突然舞い込んだ一億円。見知らぬ土地での第二の人生はバラ色。言ってみれば、これは男の夢物語だ。ネタバレになるのでこれ以上は書けないが、この物語にはさらに裏があった。
ともかく、金沢の描写が読み応えある。こんな街でこんな風に暮らしてみたい......。吉田健一の名作『金沢』は、東京で事業をする男が金沢にも一軒家を借り、ときに訪れて......という幻想的な作品だが、本書はすべてがくっきり明瞭に描かれたエンタテインメントだ。多くの文学作品の舞台となっている金沢に、また新しい魅力的な作品が加わった。
人生の黄昏が見え始めた、多くの五十男の夢と願望が凝縮された本だ。
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