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晩年は「暴れん坊」じゃなかった徳川吉宗

世界史を動かした脳の病気

 本書『世界を動かした脳の病気』(幻冬舎)は、古代から現代までの国内外の歴史上の人物について言い伝えや記録などから、その行動の謎を脳神経内科の観点から解き明かしたもの。著者は同科の専門医で、これまでにも「医学探偵の歴史事件簿」などの作品がある。

 それぞれの時代を象徴するリーダーやヒーローをみると、突然、体や顔が動かなくなって言葉を失い、その後に公の場から姿を消してしまうことがあった。現代では「病気」と理解されるが、かつてはその原因が神罰や祟りと考えられ、人々は恐れおののき、その人物の重要度が高いほど、周囲は真相を隠そうとした。

発掘された文書で分かる

 松平健さんが演じて人気だったテレビ時代劇「暴れん坊将軍」。そのモデルは江戸時代の徳川幕府8代将軍、徳川吉宗だ。「暴れん坊」のネーミングや松平さんのイメージが前面に打ち出されているだけに、将軍吉宗には実は健康面での問題があったといわれても不具合とはなかなか結びつかない。後継の9代家重は健康問題が取りざたされており、吉宗は大御所としてその後見を務めたことが知られているだけになおさらだ。

 ところが隠居して大御所となった後に吉宗は失語症に苦しんだ。「事実は、大御所として将軍を後見するどころではなかった。引退の翌年、延享3(1746)年の11月12日に中風になった」ものでその後遺症らしい。国立公文書館の書庫に埋もれていたところを発見された「吉宗公卿一代記」でわかったという。この記録は、吉宗側近によって書かれたもので、主君の言語障害について克明に報告されている。

 中風発症から4か月後、症状が落ち着き床も上げたあとのこと。吉宗はしきりになにかをしゃべるのだが側近は理解できない。しばらくして、大御所は大好きな「鷹狩り」のことではと思い当り確認すると「そのことじゃ」と答えたという。著者は「このことから、吉宗は自分の意思を言葉にすることはできないが、側近の問いかけを理解して、反応することができるので、典型的な運動性失語であったと診断できる」と述べている。

 運動性失語は、人の言っていることは理解できるが思っていることが口に出せない症状。これに対し、耳から入ってきた言葉が、意味のある言葉として認識できないのを感覚性失語といい、両方の状態に悩まされるのが完全失語症という。

 吉宗の症状は床上げから3年経過してやや改善がみられたようだが、相変わらず言語不明瞭で小姓たちが意思確認に苦労している。「そのことでもない」「いやいや」で否定、「しれたこと」「それさ、それさ」で同意、「どうして、どうして」で疑問などの意思表示を側に使える者たちは忖度していた。

ソ連を変えてしまった「失語症」

 吉宗は運動機能でも右手が不自由になるなどの不具合に見舞われており、10人の小姓が介護役を務めるなど手厚いサポート態勢がとられた。食事では箸を口に運ぶために控える小姓が4人、歩きやすいよう御殿を改造してバリアフリー化が図られたほどだ。現代では「暴れん坊将軍」として描かれた吉宗だが、最晩年は闘病とリハビリの日々だった。

 本書によると20世紀の世界では、各国の最高権力者の失語症が歴史の流れに強い影響を与えているという。最たる例はロシアだ。ロシア革命の数年後、レーニンは失語症に悩まされるとともに右片が不自由になる一過性脳虚血発作を繰り返した。高じて本格的に言葉と体の動きを失いスターリンに追い落とされたという。スターリンは反対派を粛清して権力を掌握。「労働者の天国」だった「ソビエト連邦」は姿を変え、圧政国家になってしまったという。

 本書ではまた、実は認知症で判断を誤り悲劇を招いた指導者の例のほか、伝説のヘビー級チャンピオン、モハメド・アリのパーキンソン病がパンチドランカー症候群によると考えられることの検証など数々の所見が盛り込まれている。ヒーローやヒロインの物語のような美化がないリアルな伝記で、読むうちに前のめりになる。

  • 書名 世界史を動かした脳の病気
  • サブタイトル偉人たちの脳神経内科
  • 監修・編集・著者名小長谷正明(著)
  • 出版社名幻冬舎
  • 出版年月日2018年5月30日
  • 定価本体840円+税
  • 判型・ページ数新書・260ページ
  • ISBN9784344985001
 

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