カナダ出身の文明批評家、マーシャル・マクルーハン(1911年~1980年)の名を日本に広めたのは竹村健一氏と言っていいだろう。1967年に講談社から出版された竹村氏の著書『マクルーハンの世界 現代文明とその未来像』のまえがきに、「平凡パンチと朝日ジャーナルを併読する日本の若者たち。LSDを飲み、乱交しながら禅の世界を追求するマンハッタン族...」何とも説明のつかない世の中をマクルーハンが新しい言葉で説明してくれる、と大見得を切っている。
元「英文毎日記者」の竹村氏はマクルーハンの紹介者としてラジオ、テレビのパーソナリティの地位を築いた。パイプをくゆらせ、関西弁で、保守側からの政治・社会批評を続けた竹村氏をマクルーハンのイメージと重ねるところが日本ではあったように思う。マクルーハンの著書「グーテンベルグの銀河系」(みすず書房、森常治訳)、「メディアはメッセージである」(河出書房新社、南博訳)を読まずに、当時のメディアが紹介するマクルーハン像は日本に広がっていた。
本書『マクルーハンは、メッセージ』著者の服部桂によれば、ネット時代の進化で再びマクルーハンが注目されている。60年代のテレビ時代を解釈したマクルーハンのメディア論は、電子メディアの地殻変動の本質も語っているからだという。
たとえば、と「エリザベス女王の苛立ち」の例を引く。女王が宮殿内での携帯電話を禁止したのは常識とマナーの問題だけでなく、空間的距離によって保障されていた王室のありがたさを破壊するから。同様に、ネットは企業内の秩序を破壊した。社員が直接社長にメールを送るという序列無視の情報伝達が可能となった。マクルーハンの有名な言葉「メディアはメッセージである」で解釈すれば、電話の会話、あるいはネットの情報より、メディアの存在そのものがメッセージ性を持つということになる。
著者は70年代から新聞記者として電子メディアをウォッチしてきた。多くの世界的なキーマンにインタビューし、現場を取材している。電子メディア創成期からのエピソードを挙げてマクルーハン流に解釈した前半が面白い。
マクルーハンの理論は探求されるよりキャッチフレーズとして利用され、メディアのおもちゃとなってきた。うさん臭さのようなものを持っている。
巻末に「マクルーハン100の言葉」を並べている。
「私は説明しない、探究するのみ」「永遠の監視の代償は無関心」「現金は貧乏人のクレジット」「ニュースはアート以上に人工的だ」「テレビにとっては視聴者がスクリーンだ」「広告は20世紀の洞窟アートだ」「プライバシーの侵害は、今では最大の知識産業だ」「明日とはわれわれの恒常的なアドレス」
分かったようで分からない。いろいろの解釈が成り立つ。それが魅力でもある。
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