青山学院春木教授事件と聞いても知らない人も多いだろう。1973年3月、青山学院大学法学部の春木猛教授(当時63)が、朝日新聞に「大学教授、教え子に乱暴――青山学院大 卒業試験の採点エサ」と報じられ、その後告訴・逮捕の経緯をたどり、一審で懲役3年の実刑判決を受けた。その後、最高裁でも上告は棄却され、世間的には「ハレンチ教授」の烙印を押されたまま、記憶のかなたに埋もれた事件だ。
著者の早瀬圭一さんは当時、毎日新聞社会部の記者として、朝日のスクープの後追い取材をし、春木教授にも会っていた。被害者の女子大生の不可解な行動、さらには「教授は陥れられた」という陰謀説が当時からあり、毎日新聞は助手がからんだ不審な動きを報じていた。
その後1979年、早瀬さんは「サンデー毎日」デスクとなり、社会派作家・石川達三を起用し、事件をモデルとした小説「七人の敵がいた」を連載、事実に迫ろうとした。毎日新聞には、もう一人、冤罪をはらそうとした男がいた。「サンデー毎日」の鳥井守幸編集長である。7週連続で事件の疑惑を取り上げたのを皮切りに、1981年、出所した春木氏にインタビューし、その主張を取り上げた。
事件発生当時小さな不動産屋だった男、その後「地上げの帝王」とよばれ、資産1000億超と言われた最上恒産・早坂太吉社長が事件の背景にいたことは、ほとんど知られていない。早坂社長は女子大生の父親と事業のパートナーであり、女子大生とも親しかった。
毎日新聞を退職後、名古屋などの大学の教壇に立っていた早瀬さんは、サンデー毎日の記者が早坂社長に取材していたことを3年前(2015年)に知り、その取材資料を譲り受け、ふたたび、この事件の取材にかかった。『長い命のために』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど著書の多い早瀬さんは、最後の本とする覚悟だった。
あの女子大生はいまどうしているのか。話を聞きたい。あるきっかけで彼女がいま住む自宅の住所と電話番号を探り当てた。
「私はもう七十代の後半です。あなたの一回り近く上です。そろそろ死んでもおかしくない歳です。その晩節に、私なりに春木事件の決着をつけたいのです」と電話で告げた著者に、T子からは「それがあなたの記者魂ですか」という言葉が返ってきた。
早瀬さんは「四十五年目の答」として、事件の構図を本書で詳細に記す。推理小説で言うと種明かしになるので、実際に読んでいただきたい。。
それにしても45年前に自分が取材した事件の落とし前をつけた著者には脱帽するしかない。毎日新聞にはすごい記者がいたものだ。
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