編集者の安西佳鶴子は定年退職を前に、30年も昔に琵琶湖の北の尼寺を訪ね、「比丘尼」と呼ばれる尼僧の半生を聞いたことを思い出していた。
はじまりは明治の後年から大正の話だ。彼女の本名は左近綾といった。東京・神田の能楽家の娘で、能の仕舞や謡の稽古に励みながら、女子英学塾(後の津田塾大学)に学んだ。綾は、東京帝国大学に通う高見友則と二松学舎に学ぶ重光伊織という二人の青年に愛される。ともに綾の「羽衣」の舞に魅了されたのだった。やがて綾は一方と結婚する。3人のその後の人生は......。
夫とともにロンドンに渡った綾は、莫大な財をもつ嵯峨野侯爵夫妻の知遇をパリで得て、ヨーロッパ文化の美のエッセンスを吸収する。
比丘尼は「生きている間は記事を書かないでほしい」と佳鶴子に頼み、佳鶴子はその約束を守った。比丘尼は「イントレランス(不寛容)」が世界を覆う時代になったら書いて欲しいと言っていたのだ。著者は今が「不寛容」の時代だという危機感を持っているようだ。
本書『花精の舞』(株式会社KADOKAWA)は、明治・大正・昭和を生きた女性の大河小説の趣があるが、一つひとつのエピソードの書き込みが薄いので、すぐに読了する。このライトな感覚がいいというコメントもネットにはあった。
著者の波多野聖は『メガバンク最終決戦』、『銭の戦争』シリーズなどカネにまつわる著書が多い。もともとは内外の金融機関でファンド・マネージャーとして活躍した経歴をもつ。本名の藤原敬之名義で『カネ遣いという教養』(新潮新書)を出している。億単位の収入があった頃、メガネに80万円、文具や時計に高級車一台分をつかったなど「蕩尽」ぶりを明かしている。しかし、いやらしさよりもさわやかさが感じられるのは、「カネ遣いによって教養を手にいれた」(「二度の離婚による慰謝料で無一文になった」とも)と語る人柄のせいかもしれない。
その「教養」ゆえか、本書の能や美術品の記述には造詣の深さが感じられる。この方面にも相当遣ったのだろう。
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