かつては携行食や旅など遠出の弁当に用いられる一形態だったおにぎりだが、現代では自宅やオフィスでの食事や軽食に、居酒屋でのシメにと、さまざまなシーンに登場する。その手軽さや、具の多様化が容易であることなどからコンビニチェーンが力を入れて需要を広げ、近年は専門店も増えている。
「おにぎりと日本人」(洋泉社刊)は、わが国のソウルフードともいわれる身近な存在ながらあまり知られていないおにぎりの歴史や、文化的背景、各地の風土によりさまざまな種類があることを解き明かしたもの。海苔を巻くようになったのは江戸時代からって知ってました?
石川県の能登半島中部、中能登町でみつかった弥生時代の住居跡などがある「杉谷チャノバタケ遺跡」で1987年、調査の際に、手のひらに載るくらいの大きさで炭化した石状の塊が出土した。詳しく調べてみると、蒸したコメをかためたものの化石で「日本最古のおにぎり」とされている。見つかった場所は、弥生時代中期(約2000年前)の竪穴式住居跡。「おにぎり」は稲作開始とほぼ同時に誕生したらしい。
著者の増淵敏之さんは法政大学大学院政策創造研究科教授で「コンテンツツーリズム」が専門。コンテンツツーリズムとは、著者によると「コンテンツ(作品)をとおして醸成された地域の物語性を、観光資源として活用すること」。「食」も創作物であり、コンテンツの一つとしてとらえられ、専門家としておにぎりに注目しているという。
弥生時代のほかの遺跡からもおにぎりの出土歴があり、考古学者の間では供え物としてなど役割を持たされた宗教的意味合いからつくられたのではないかと考えられているという。山が信仰の対象であったことから、その形を模して三角形に形作られたのではないかという。
歴史上、おにぎりがそれと分かるように登場するのは平安時代。「屯食(とんじき)」という卵型に飯を握ったもので、貴族らの集まりで振る舞われた。
その後の鎌倉時代以降は戦場の兵糧として広がるようになる。1221年(承久3年)に、朝廷側が実権回復を目的に鎌倉幕府討伐の兵を挙げた承久の乱で、京都に向けられた幕府軍の武士らにおにぎりが配られた記録があるという。これ以降、兵士たちの主食の一つになったものだ。
江戸時代に入り太平の世の中となってから、おにぎりは民生用に転化。そのため多様化の速度を早め海苔を巻くなどの工夫が凝らされる。「握り飯」という呼び方が現われたのも江戸時代。また、室町時代に宮中の女房たちの間で使われていた「おむすび」という用語も市中で使われるようになったといい、著者は、大衆食となったおにぎりを庶民が上品に表現しようと宮中言葉をまねたからではないかと推測している。
おにぎりはその後、各地でその土地の風土に合ったものが作られ、本書ではその形状や具の違いなどについても述べられている。また、近隣の中国や韓国にはおにぎりのようなものはなく、あったとしても、おにぎりのような地位を獲得できていないことを報告。まさに日本のソウルフードであることを強調している。おにぎりがわれわれの食生活のなかで占めるウエートが大きくなる一方で、「おにぎらず」などの派生型が現れたり、他人が握ったものを食べられない人が増えていることなどが指摘されるなど、おにぎり離れにもみえるトピックがとりざたされるが、それもこれも、おにぎりがあってのこと。本書でおにぎりのことを知れば、これらの真相も分かってくるはず。
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