イヌ年に思い出すのは徳川綱吉だ。犬公方と言われ、犬を人間よりも大切にしたというような俗説で歴史に残るが、本当のところはどうだったのか。
本書『徳川綱吉』(吉川弘文館)は、綱吉についてのまとまった本として知られる。20年前の出版だが、その後の「綱吉本」や「綱吉像の見直し論」のもとになっているようだ。著者は国立歴史民俗博物館名誉教授の塚本学(1927~ 2013)さんだ。
たしかに綱吉は、一連の「生類憐みの令」で犬を筆頭に様々な「生類」を非常に手厚く保護した。本書によれば牛馬に関する取り締まりは犬以上に厳しかった。武蔵の村で病気の馬を捨てた者を死刑にすべきところ今回は流罪になったとか、病馬を捨てた農民25人が神津島に流されたとか、馬をめぐる厳しい仕置きは枚挙にいとまがない。
そのほか鷹狩の廃止、ペットとしての亀も飼えない、松虫・キリギリスを売って牢屋に入れられる、漁師以外は趣味としての釣りも認められず、猿回しなど様々な動物の見世物もご法度、など究極の動物愛護者としての綱吉像が描かれる。
しかし、本書で驚くのは「ヒト」に関わる部分だ。「捨子・捨て病人」の禁止令が出ている。貧乏で養育しかねるなら、町人は町奉行に訴え出よと指示されている。旅病人の介抱令も出て、旅の途中で病気になった人はその地で治療を受け、故郷まで送るという体制も整えられた。
全国規模の捨子禁令が繰り返し出されている。私領での養育困難者は届け先も指定された。大家や地主は、借家借地人の妊産婦と三歳以下の子を承知しておくように指示されている。養親として子を引き受けるケースもあったようだが、養育費だけもらって子どもを捨てた場合は、獄門・磔の刑に処せられた。生類憐みの令の多くは、綱吉の死後に廃止されたが、捨て子取締りなどは綱吉以後も継承されたという。
綱吉はいわゆる元禄時代の将軍であり、世の中の風紀はやや乱れ気味だった。そうした中で、ヒトから動物にいたるまで厳しい管理をすることで、世の中の秩序を保とうとした一面もあったようだ。
以上を総合的に見ると、綱吉が犬公方として、犬だけを大事にしていたのではないことがわかる。著者は次のように書く。
「ヒトは、仁心を持ち得るものであり、すべてのひとをそのように導くのが君主の任務であるというのが綱吉の理解した儒学の教えであったとすると、生類憐みの政治の意図は説明できるし、綱吉の施政全般とも整合する」
だからか、綱吉は、犬愛護を命じたことで有名な将軍ではあるが、綱吉自身が「愛犬家だったという徴候は見いだせない」とのことだ。
時代劇などでは、綱吉の時代に水戸黄門が活躍した。生類憐みの令には批判的だったとされる。忠臣蔵では綱吉は吉良側に立ったという設定で、ここでも分が悪い。庶民のささやかなペット飼育にまで禁令を付したことで、当時、息苦しさがあったのも事実かもしれない。富士山が噴火するなど前代未聞の大災害もあった。あれやこれやで綱吉はおバカ将軍と言うのが定説化してきた。
おそらくはそうしたことを念頭に、「はじめに」で著者は、「尊敬する人物のリストに彼(綱吉)を入れる意志などは持っていない。ここではただ、史上評価の分かれるひとりの男の生涯を追ってみるのである」と抑制的に記すにとどめている。
本書は伝統と権威のある吉川弘文館の「人物叢書」の一冊。多数の典拠を示しながら、綱吉の様々な側面について丁寧に論究している。門外漢が読んでも、アカデミックな研究の一端に触れることができて、清々しい。
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