舌の先端は甘味を、付け根は苦味を、両サイドの前部で塩味を感じ、後部で酸味を感じるという舌の味覚分布地図は長く信じられてきたが実は完璧な誤りだった。味を感じる味蕾は「甘味・塩味・苦味・酸味・旨味」それぞれの分子を感知する受容体タンパク質が含まれていることが明らかになったからだ。
なぜ長い期間、この誤りが信じられていたか。それは味覚が、客観的な測定・評価が可能な視覚・聴覚・触覚とは異なるからだ。実際には、飲食物に含まれる化学成分を測定することは可能だが、それをどう感じるかは個人差が大きく、また文化的・地理的にも大きく異なるからだという。だから味覚の研究は非常に難しいし、おいしいと思うものも人によって異なる。
例えば苦味について書かれた第3章ではブッシュ大統領(パパ・ブッシュ)が、子供の頃からずっと嫌いだったブロッコリーを大統領専用機から追放したエピソードが紹介される。アブラナ科の植物は自分を食べるものから身を守るためにアロカロイド系の物質を放出する。これが苦味となる。しかし、この苦味をおいしいと感じる人もたくさんいる。大統領夫人のバーバラがまさにそうだった。この差はいったい何なのか?
そもそも、苦さは毒、酸っぱさは腐敗を感知するために発達したはずなのに、今では苦さや酸っぱさ、辛さを好んで求める人がいる。逆に甘さはエネルギーをもたらす糖の味のはずだが、今では甘さは生活習慣病の敵とみなされる場合すらある。
本書『おいしさの人類史』(河出書房新社)は、そんなおいしさの不思議をさまざまな観点からとらえることで理解しようという試みといってもいい。ピューリッツァー賞受賞のジャーナリストである著者はこの難問を、科学的知見や文化的知見をフルに活用し、時には実際に自分の舌で試してみることで解き明かしていく。
苦さよりも不思議なのは辛さかもしれない。なぜ一部の人は大汗をかき、涙を流しながら激辛料理を食べるのか。第7章でそれが考察されている。
辛さには、辛味成分「カプサイシン」の濃度に基づく「スコヴィル」という単位がある。有名なトウガラシ、ハラペーニョは約3000スコヴィル、トウガラシよりも辛いことで有名なハバネロは約20万スコヴィル。しかし、辛さのギネスブック記録は1994年、57万7000スコヴィルを記録したレッド・サヴィーナが保持していた。
しかし、このギネス記録も、21世紀初頭に世界中の園芸家の間で巻き起こった辛さの開発競争で次々と塗り替えられていく。2006年に100万スコヴィルの壁を超えると、続々と記録は更新される。現在のギネス記録はオーストラリアの画家が栽培したトリニダート・スコルピオン・ブッチTの146万3700スコヴィル。調理するためには化学兵器用防護服が必要なほどだ。だがこの王座も長くはなさそうだ。アメリカの抵当金融業者が育種したカロライナ・リーパーはギネス認定こそまだだが150万スコヴィル以上の辛さを記録している。これら激辛トウガラシが高値で取引されるので、さらに競争は激化しそうだ。
このほか旨味を発見した日本人研究者のエピソードや、鰹節ならぬ豚節・鶏節・牛節を作ろうと試みているニューヨークのレストラン経営者の話など、興味の尽きない話が"お腹いっぱい"になるほど盛り込まれた本書は、ブームの人類学本の中でも異彩を放つ面白さがいっぱいだ。(BOOKウォッチ編集部 スズ)
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