「有楽斎」は織田有楽斎のこと。織田信長の13歳下の弟だが戦国時代の物語のなかでは地味な存在だ。信長の弟に生まれ、武士としての道を進まざるを得ない身なのだが、千利休と出会い自分の人生は茶の湯にありと見極める。それでも織田ブランドの人物として戦国史上の大事件「本能寺の変」「関ケ原の戦い」「大坂の陣」のいずれにも現場に居合わせた有楽斎。望まぬ宿命と望みながらもうまくいかない天職との折り合いをどうつけて戦いを生きのびたのかが描かれる。
本書は「本能寺」「関ケ原」「大坂」の3事件を背景としてとりあげ、それぞれについて2編ずつ、計6編の連作短編で構成されている。各事件の1編は有楽斎を主人公に、もう1編には別の人物を主人公に配して、それぞれの事件が、どういう性質のものだったかを、異なる主人公の立場から掘り下げている。
有楽斎以外の主人公は、島井宗室、小早川秀秋、松平忠直。
最初の「本能寺の変 源五郎の道」では、有楽斎が事件前、織田家の茶頭、千宗易(利休)にお茶をたてもらう場面が描かれる。源五郎は有楽斎の別名。作法もあいまいなまま、宗易のたてた茶を喫し「己の生に意義を見出した」有楽斎。「武人としての栄達は捨て、茶の湯の道に生きよう」と決意し宗易に弟子入りする。
茶の湯を学び始めて1年余の後の天正10年(1582年)2月、有楽斎は武田討滅の部隊にいやいやながら組み込まれていた。ここで、信長嫌い、戦いを「吐き気を催すほど嫌っていた」ことが語られる。そして、この4か月後に起きる「本能寺の変」。「武」より「文」を志す有楽斎は、兄も、その嫡男で甥である信忠も見捨てて逃げ出していた。
その後、豊臣秀吉の側に仕え過ごした有楽斎。「関ケ原の戦い」では家康の要望をうけて出陣。貢献が認められ大和国内に3万石を与えられた。領国経営の一方、大坂城に出仕し豊臣秀頼の母、淀君の叔父として豊臣家を補佐。「大坂の陣」では「大和国3万石」もあり、徳川方のための間者を務める。
信長嫌い、戦嫌いの有楽斎だが、戦国のバックヤードで織田ブランドの傘の下、独自の戦いを進めていたことがわかる。
評者の文芸評論家、縄田一男さんは「異色にして正統、加えて端正な戦国小説の傑作といえよう」と述べている。
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