1970年代なかば、沢木耕太郎は26歳の時に、東京から香港へ飛んだ。インドのデリーからイギリスのロンドンまでバスで旅行し、たどりつくのが旅の最初の目的だった。しかし、最初に降り立った香港にずるずると滞在し、街の魅力にとりつかれる。その後もルートは逸脱につぐ逸脱を続ける。
産経新聞に連載された第1巻と第2巻相当部分が、出版されたのは1986年である。旅が終わってから10年あまりが経っていた。
70年代の若者は「Discover Japan」の宣伝文句につられ、おもに北海道をめざし、北上した。知床がブームとなった。まだ海外への旅は高嶺の花であり、沢木のような旅は例外だった。80年代に入り、ようやく海外が視野に入り、爆発的なバックパッカーのブームとなった。そのとき彼らはこの『深夜特急』を手にしていた。
今回約30年ぶりに本書を読み返した。最初の寄港地、香港の記述がすぐによみがえってきた。「黄金宮殿」なるホテルはあやしい連れ込み宿。ここの住人たちとふれあいながら、混沌とした香港の街に沢木はのめり込んでいく。「今日一日、予定は一切なかった。せねばならぬ仕事もなければ、人に会う約束もない。すべてが自由だった」という1行に彼の高揚した気分が表れている。
もちろん晴れの日ばかりではない。足を延ばしたマカオでは「大小」という賭博にはまり、持ち金を失いかける。あれやこれやでなんとか1年がかりでロンドンにたどり着く。日本を出る時に仲間と賭けをしていた。ロンドン行きに成功すれば、電報を打つことになっていたのだ。「ワレ到着セリ」と打つはずだったが、果たして彼は「ワレ到着セズ」と打ち、長い物語は終わる。
この「未完の青春の旅」というストーリーに若者たちはひかれ、96年から98年にかけて大沢たかお主演でテレビ化もされている。
読み返して気がついたのは、たいして有益な情報が書かれていないのに、バイブル化したことだ。やがて「地球の歩き方」シリーズに、とって代わられ、現在は、ネット情報を頼りに若者は海外に出かける。しかも、海外へ出る若者は減り続けている。
本書が絶版にもならず、読みつがれているのは、すべての仕事を辞めて、ある日、外国へ行ってしまうという主人公の自由さに憧れるからではないか。
文庫の第1巻巻末の対談で、沢木は金子光晴が『どくろ杯』『ねむれ巴里』に描いた戦前の文士のデカダンな旅についてふれている。いつか沢木の旅も「歴史的遺産」として語られる日がくるのではないか、ふとそんなことを考えた。ちなみに同対談で沢木は、ハワイが「世の中で一番好きなところのひとつといっていいですね」と話している。こうした正直さ、率直さも沢木の魅力なのだろう。
注)第1巻(便)・第2巻(便)の発行が1986 年5月(BOOKウォッチ編集部 JW)
最終巻(第3便)の発行が1992年10月
新潮文庫から6冊に分冊化されたものが発売され、入手しやすい
文庫の発売は1994年03月30日
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