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「人を救う仕事は、資格があるからできるという仕事ではない」 日野原重明氏はなぜ「求道医」になったか

人生、これからが本番

 生涯現役を貫き、さきごろ105歳で亡くなられた日野原重明・聖路加国際病院院長は、医師としての多彩な活動だけでなく、『生き方上手』『十歳のきみへ』などのベストセラーでも幅広く支持され人気があった。
 200冊以上といわれる著作から、日野原さんの歩みと人生観が分かる一冊を選ぶとすれば、『人生、これからが本番』(日本経済新聞社)ということになるだろう。

「私の履歴書」を大幅加筆

 類まれな医師、日野原さんはどういう家庭環境で育ったのか。なぜ、氏は医師の仕事を天職とし、多くの人に信頼されたのか。
 本書は2006年、日野原さんが94歳の時の出版だ。「94歳なんかまだ通過点」と言い切り、「人生、これからが本番」と前向きに宣言する。内容は1990年に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」をもとにしつつ、大幅に加筆している。
 日野原さんとその業績については、様々な形容句がある。「生涯現役医師」「スーパードクター」「生活習慣病の名付け親」「命の大切さや平和の尊さを伝える活動に積極的に取り組む」・・・。本書を読み、日野原さんの人生をたどると、根っからの「求道の人」だったということがよくわかる。あえて言えば「求道医」。人の命に係わる医師の仕事を通じて、ヒューマニズムを追い求め、実践した人だった。

「たどん屋の子」と呼ばれて

 日野原さんが牧師の家庭で育ったことはよく知られている。父・日野原善輔(1877~1958)氏は明治期に米国の大学で神学を学び、帰国後は大分、神戸などで牧師を務めた。日野原さんも7歳の時に洗礼を受けている。
 「牧師は収入が少なかった・・・経済的にはギリギリの生活だった...暖房にも事欠き、母は子供たちに山から粘土を取ってこさせ、炭屋から床に落ちている粉炭をただでもらって混ぜてたどんを作り燃料にした・・・友達に『たどん屋の子』とよくからかわれた」

 日野原さんが振り返る少年時代の一コマだ。エリート医師と思われがちだが、苦労したことがうかがえる。昭和初期、旧制高校生のころは、「思想的には進歩的な自由主義者で、キリスト教的社会主義に傾倒していた」とも。
 父からは「長期の夢を」、母からは「気長に耐えること」を学んだという日野原さん。「私が今まで何かができたのは、出会った師や友や病む人から得たことによる」と周囲への感謝の気持ちを忘れない。
 そんな中で一か所、目についたのはこんな言葉だ。
 「人を救う仕事は、資格があるからできるという仕事ではない。できる人だけができるのである」
 自らへの深い戒めと叱咤――「求道人生」に納得できる気がした。

  • 書名 人生、これからが本番
  • 監修・編集・著者名日野原重明 著
  • 出版社名日本経済新聞社
  • 出版年月日2006年4月 1日
  • 定価本体1,400円 +税
  • 判型・ページ数四六判・上製本・256 ページ
  • ISBN9784532165550

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