史実を"公的に"追う学者と、史実を"私的に"演出しようとする作家――お互いこころよくは思ってないだろうと考える歴史ファンが少なくないのではないか。だから、しばしば「学者は司馬遼太郎が嫌い」と思われがちだが、著者の歴史学者、磯田道史さんはかつて、司馬を「歴史家」としてとらえていると述べている。本書では、そんな磯田さんの目を通して、改めて司馬の作品群からから読者へのメッセージを読み解こうと試みている。
3大長編とされる『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』のほか、『国盗り物語』『この国のかたち』『花神』などを検証しながら、明治維新を評価し明治時代を理想とする、いわゆる"司馬史観"について論じるほか、「日本社会」の種は、岐阜、愛知から三重にまたがる濃尾平野から戦国時代の斉藤道三を起点に生まれ、昭和初期の軍国期まで続くとし、その経緯を追う。
読者のネットの書き込みでは「歴史教養と司馬文学を体系的に結び付けることができました。歴史小説を乱読しても体系的な歴史教養は、身に付かない気がしていたのですが、こういう歴史学者の本で、小説の歴史学的な位置づけをしてもらうと、よくわかりました。」(アマゾンのカスタマーレビュー)というものもあれば「司馬遼太郎の作品は一人の小説家の歴史の解釈に過ぎないのであり、司馬遼太郎自身のキャラ付けに影響された読者が勝手に「司馬史観」なるものを作っているのだろう。」(読書メーター)というものも。投稿者のほとんどが司馬ファンであり、それぞれの思いを込めた多彩な意見が出ている。
まもなく「関ケ原の戦い」(1600年9月15日=旧暦)を描いた司馬作品を映画化した「関ヶ原」が公開される。エンターテインメントを楽しむ一方で、司馬作品が追い続けた「日本社会」が映画の中でどう描かれているのか、そんな視点からも観るようにしたい。
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