東京の地表はビルや家屋でびっしりと覆われ、見通しもきかず、また銀座や新宿といった繁華街が平面的に広がっていることもあり、地形を意識することはない(渋谷は特異である)。しかし、山手線が堀割を走ったり高架に飛び出したりすることからわかるように、また街歩きをすると「○○坂」と名づけられた土地が多いことに気づくように、東京はとても起伏に富んでいる。そして、その起伏は、東京の歴史や文化を作りだしてきたものでもある。このたび実業之日本社から発売される『「水」が教えてくれる 東京の微地形散歩』は「水」、つまり谷筋と川をキーワードに、東京の歴史や文化を読み解いていくものである。
本書の特長である、大正6年の地形図に起伏表現を重ねたものを見てみよう(それを本書では「凸凹地図」と呼んでいる)。品川から高輪のあたりを見て気づくのは、白い部分、つまり大邸宅が丘の上にあり、赤い部分、つまり小さな民家が密集している部分が低地にあることである。そこからわかるのは、土地の高さに社会的な意味がある時代があったということである。
豊富に掲載された凸凹地図を見ると、東京の台地の北側はいささか大胆に、南側は細かく谷が入り込んでいるのがわかる。これは地層による差だが、雨水だけでこれだけ谷が刻まれるのか、ということに新鮮な驚きがある。幅わずか数百メートルの丘の斜面に湧水があり、それが集まって谷を形成する。それがときに鉄砲水となって地形を変えてしまう。現在の石神井川や神田川、古川の水量からはちょっと想像できないのだが、それは、現在の河川はそういうことを起こさないように細かく対策され、また厳密に管理されているからである。江戸時代の川の姿はまったく別物で、本書に掲載された江戸時代の絵を見ると、水量豊富な川がそこらじゅうにあったことがわかる。
江戸時代の川が水量豊富だったとはいえ、東京における大規模な土木工事は江戸幕府が開かれる以前から開府初期になされたものも多い。それは、江戸の街づくりであり、江戸城に濠をめぐらすためであり、そして江戸の市街地域を洪水から守るためだった。現在の神田川や古川の水量からするとちょっと考えづらいが、そのために御茶ノ水の丘を削って放水路を造り、「日比谷入江」と呼ばれていた丸の内あたりまでの入江を埋め立て、市街地としていった。その名残で地盤が弱く、周辺は関東大震災では大きな震度を記録した。
江戸の街は飲料水の確保も重要だった。北に隅田川、南に多摩川を擁しているとはいえそれらから江戸の市街に上水を引くことは標高の差からして難しく、玉川上水の工事に結実した。はるか上流の羽村から地形の背骨というべき地点を見定めで水を流し、約40kmの水路を造った。驚異の土木工事である。
地形の楽しみは「谷」である。もし真っ平らであれば、地形への興味はそれほど喚起されないに違いない。本書は「水」すなわち「谷」を、東京の地形に見ながら、歴史と文化を考察していくものである。いままで歴史は好きでも地形に関心を持ってこなかった人たちにもぜひご覧いただきたい。きっと、歴史上の人物達が、リアルに地上を動いていることを想像できるに違いない。
『「水」が教えてくれる 東京の微地形散歩』
内田 宗治・著
ISBN:9784408109855
2013年4月27日発売