渋谷のスクランブル交差点を渡っている最中に、それは起こった。
すれ違う女性の顔ばかりでなく、姿も見られない。
女性、というだけで視界に入るのがつらくなり、思わず目を伏せた。足下だけを見て、なんとか交差点を渡りきった。
(プロローグより)
上記の文章は、まさに著者自身が陥った体験である。
それは、強迫神経症の一種である「視線恐怖」だった。より詳しくいえば、他者の視線が自分を嘲笑っているように感じる「視線恐怖」と、自分の視線が他者に不快感を与えているという思いにとらわれる「自己視線恐怖」の二種類が存在することが分かった。つまり、見るのもこわい、見られるのもこわい……というわけである。
著者は、自らに生じたこの異変を克服するため、「視線」に関する徹底した調査、研究、取材を開始する。西洋医学、東洋医学、脳科学、認知行動学、社会学……。様々なアプローチから「見えて」きたのは、私たちの生きる条件が、そして社会の有り様が、いかに「視線」に規定され束縛されているかという事実だった!
強迫神経症の罹患者数は、海外のデータを日本の人口比率に置き換えると、国内で100万人近くにのぼるとされる。「病」には至らなくても、それに近いストレスを抱える人々は、さらに多いはずである。その中でも「見る」「見られる」がもたらす視線恐怖というストレスは、誰もが直面する日常行為から発するだけに、きわめて深刻な症例だ。実際、ほとんどの人は、多かれ少なかれ「見たり」「見られたり」で不快感やストレスを実感したことがあるのではないか。明日は我が身、なのである。
加えて、フェイスブックのように可視化を要求するSNSの普及は、新しい「視線ストレス」を生み出しつつある。まさに「現代」をとらえた内容の一冊です。
【目次より】
【第1章】「視線」は「脳」のどこで情報化されるか
脳と視覚の基礎知識/脳の視覚情報が精神疾患に変異すること
【第2章】視線恐怖
他者の視線が気になって正常な生活が送れない/他者を見られない
【第3章】「森田療法」における「視線」
「とらわれ」から「あるがまま」まで/「視線恐怖は日本人特有」は本当か
【第4章】単細胞生物にも「視線」があった?
ゾウリムシの他者認識/「乳房を見る」赤ん坊
【第5章】柳田國男が感じた「近代の視線」
東京人の眼が大へんに怖くなっている/「共視」は日本人の集団主義に欠かせないスキル
【第6章】対人関係性の「地殻変動」
他者の視線? そんなの関係ねぇ/視線の近代化に失敗した日本人
【著者プロフィール】
上野 玲(うえの れい)
1962年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。ジャーナリスト。精神医学、性意識、対人関係、食べ歩きなど多方面で記事を書いている。主な著書に「うつは薬では治らない」(文春新書)、「ルポがんの時代心のケア」(岩波書店)等。WEBマガジン「ケサランパサラン」(
www.kesaranpasaran.net)の編集も行っている。
http://shinsho.shueisha.co.jp/書名:視線がこわい
著者:上野 玲
発売日:2012年9月14日
定価:777円(税込)